12 21, 2008

そりゃあ安いにこしたことはないのだが

Rr0011047

札幌への出張時は、いつもマイレージを貯めているJALを利用していたのだが、ここんところSKY MARKオンリー。
お値段や変更しやすいかどうかなど、さまざまなポイントを天秤にかけると、当方のように1か月に数回足を運ぶ者にとって、SKY MARKが最善の選択肢であることがようやく分かってきたからだ。

料金のほうを見てみよう。
かりに今度のクリスマスイヴにJALで飛べば片道32,100円。
これに対してSKY MARKは片道23,800円。
往復では約20,000円もの差になる。
こいつはデカイ。
もちろんJAL・ANAを利用する場合でも少しでも安くあげようと、チケット屋で1枚8,000円から12,000円する株主優待割引券(季節によって価格が変動)を買って行く手もあるが、これで浮かせる金額は雀の涙。

SKY MARKの利点はお値段だけではない。
英語の機内アナウンスなし(当方には無縁)。
JALでは提供される無料飲み物サービスなし(眠っているとき邪魔されない)。
キャビンアテンダントも範囲内(JALと大差はないが、小差はあるかも)。
機内にテレビなどのビデオ機器なし(目が疲れない)。
写真のように空港ターミナルから飛行機までバス利用になることがたまにある(そうでない場合、喜びが大きい)。

JALにするか、SKY MARKにするか。
選択肢が増えることは、消費者が優位になれる機会が増えていることを意味する。
でも。
その一方でこうした「賢い選択」が結果的にライバル会社従業員の給料を下げる一因になったり、そこで働く非正規社員の職を奪うことにつながっていることはアタマのどこかで考えておく必要がありそうだ。
(ちなみにJAL西松社長の年収960万、バス通勤している、という)
もちろんSKY MARKの従業員たちも激しいエアライン競争を生きぬくために、給料が抑えられているであろうことも十分想像できる。

すこしばかりマクラが長くなったが、さてと本題。
ロバート・B・ライシュ「暴走する資本主義Supercapitlism」(東洋経済新報社)を読んでいなかったら、当方が飛行機代を浮かすことで誰かさんの時給を押し下げているという、あまり楽しくない関係性は見えてこなかったかも知れない。
個人的には、ひと昔前に比べて政治家や経営者などリーダーの発言から「公」とか「社会」といったの語彙が消え、「私」しか聞こえなくなったワケをずーっと知りたいと思っていたのだが、いまの時代、当方をふくめて誰もが自分を守ることで精一杯になっちゃっているんですねー。
格差問題にこころを痛められているご同輩にも、ぜひ読んでいただきたい一冊。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

11 21, 2006

斎藤環は現場から思想する

Cimg0496

札幌で時間ができたので、できたてホヤホヤの紀伊国屋書店へ。
MoMaを連想させるような(すこし持ちあげ過ぎか)圧迫感のない店内を徘徊していたら、目に飛びこんできたのが「ラカン」という文字。
「生き延びるためのラカン」バジリコ株式会社刊。
著者は斎藤環(たまき)。
(奥付けを見たら、なんと2006年11月24日初版となっていた、つまり初版日以前に購入!)
腰巻きには「心の闇を詮索するヒマがあったらラカンを読め!そうすれば世界の見方が変わってくる!」な~んて精神分析本らしからぬコピーが踊っている。
(表紙の絵も自殺する前のゴッホ自画像みたいで、分裂しバラバラになりつつある自己、ってところか)

じつは、このところ精神科医・斎藤環サンの連続講義を受けていて、つい先日の講義でジャック・ラカン論を聞いたばかり。
ラカン以外にも、ハインツ・コフート、メラニー・クラインなど、フロイト、ユング以降の心理学・精神医学界の大御所たちの言説を私らシロート相手に分かりやすく解説していただいている。
講演は毎度のことながら、気候のあいさつなし、笑いなし、余談なし、脱線なし、受けねらいの言辞なし。
よどみなく、かつ、コトバを慎重に選びながらの立ちっぱなしのきっちり2時間。
エンターテイメントやサプライズを不可欠とする劇場型文化がハバをきかせるご時勢ではいささか珍しくもあり、だからこそ信じられる人、でもあるような・・・・。

ラカンの講義では「欲望は人の欲望である」というこの世界では有名らしいコトバを初めて教えていただいた。
これはこういうことらしい。
欲望なんていうものは自分のココロのなかから生まれてくるんじゃなくて、みんな他人が欲望しているものを自分の欲望だったかのように錯覚しているんで、もともとココロのなかなんて空っぽなのよねー、という考えかた。
だから「自分探し」なんかしても、元からなーんにも無いんだから見つからないのが当たり前じゃん、というわけ。
(ちなみに性欲や食欲は、欲望、じゃなくて、欲求、と分類されているので、念のため)
なんだか、仏教の「空」みたいな風にも聞こえなくもないが、どーもそうでもないらしい。
でも、なんか分かるような気もするし、もーちょい詳しく知りたいなーと思っていたところだったのだ。
「天使は準備している者のうえに舞い降りる」。

もともと精神分析の本は難解なものが常であるのだが、この小難しいフランス人の書いたものはその世界でも王様級らしく。
でも、その極めつけの難解さがまた魅力的で多くの熱狂的信者や研究者をひきつけているというのだから、世のなかは理解しがたい。
もっとも、この新刊本は斎藤サンのコトバによると「日本一わかりやすいラカン入門」を目指して書かれたものであり、「知的に早熟な中学生ならすいすい読める」とキッパリ断言されている。
どっこい、凡庸な中年男には先生が仰るほどには取り組みやすい相手だったわけじゃないけれど、先生の「いかに分かりやすく説明してあげられるか」能力のスゴさ、該博ぶりには敬服するばかり。

斎藤サンの専門は「ひきこもり」で、基本的には臨床医。
数々の治療場面を積み重ねてゆくうちに、ラカンの言説の多く(決して全部じゃない)が有効ってーことが分かったりして、きわめて現場監督的なのである。
このあたりは、若くしてユング研究所に学ばれ、日本におけるユングの伝道師として評価されている河合隼雄サンとは正反対の立ち位置にいるのである。
ひきこもりの家族の悩みを共有する家族会も、ほとんどボランティアのような立場で主宰されていると聞く。

斎藤サンについては書きたいことがいいぱいあるのだが、あんまり長くなってもナンだから、またの機会に。
興味をもたれたかたは、amazon.comや本屋でネ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

8 19, 2004

500の自画像

CIMG0025.JPG

本の表紙、背、裏表紙、その見返しをふくめ20人の顔で飾られたこの本、「500の自画像」(ファイドン)、1,980円。
知っている顔、いくつありましたか?
この本には古代エジプトから現代にいたる画家たちの自画像やセルフポートレイト写真など500点が、ぎっしり詰まっていて、いつまでも見飽きることがない。

ピエロや羊飼いに扮装している自画像、群集に溶け込ませた自画像、はては切り取られた死体の首に自分の顔をはめた自画像。
表情にも、疑念あり、憂鬱あり、苦悩あり、尊大あり。
なんだか画家たちの文化人類学といった様相。

目次も、個々の絵の長々とした解説もなく、ただ年代順に並べられているだけで、一見誰でも思いつきそうな企画だが、それをこうして具現化するチカラはいまの日本にはないかも知れない。

このPHAIDONという会社はもともとウィーンの出版社だったらしいが、アート、写真、デザインなど、ユニークな書籍を次々に送り出している。
そういえば、コミック蒐集からスタートしたドイツのTASCHEN(タッシェン)という会社も、安価なポストカード・ブックを量産したかと思えば、3万円に近いダ・ヴィンチの作品集なども手がけるといった企画性の高さで、注目の一社。
27万という値段でも話題になった荒木経惟の箱入り大型写真集も、たしかTASCHENではなかったか。
出版業も、またアーティストなのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

7 13, 2004

40年もたてばただの記録写真も価値が出る

CIMG0509.JPG

腰巻にもあるように、昭和40年当時の街の空気を伝えてくれている写真集「吉祥寺 消えた街角」河出書房新社。
本屋へ行ったら、この本が「あなたのために作りました」とささやいていたので、つい衝動買い。
吉祥寺は個人的な記憶がいっぱい詰まっている場所。
だから、うれしい。

著者土屋恂は昭和2年生まれ、とあるから、いま70代後半か。
その文中の言葉。
「時間は、黙っていても通り過ぎていく。その過ぎた時間が多ければ多いほど、一枚の写真の真実性、何ものにも代え難い記録性は重みを増してくる。四十年も過ぎれば、ただの記録写真も価値が出るといわれるゆえんだろう」。

そういえば。
最近の市町村合併で、せっかく地道に集積してきた地域の資料や写真、文化財が合併先の組織や予算、保管場所などの問題で、廃棄せざるを得ない状況も出てきている、との新聞記事を思い出した。
むかしのものをいくら集めも、地元経済がよくなるわけでも、収入が増えるわけでもない。
けれど、筆で書かれた戸籍謄本がある人にとっては自分のルーツを探す手がかりになったり、1枚の古びた写真が金銭では買えない価値のあるものになったり。
書庫、アーカイブスの価値は今後ますます重要となってゆくと思うのだが、いまはまだ発展途上段階か。

それにしても、この人、よくこれだけのアナログ写真を整理・保管していたなぁ。
いくつかの菓子箱に入れっぱなしの我が家のアナログ写真の運命や、いかに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)