4 22, 2008

ホテルではないものを創りたかった

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タイ南部、マレー半島西側に位置するプーケット島。
20年前、ここにそれまでにないコンセプトをもったリゾート宿泊施設が誕生した。
アマンプリ(Amanpuri)。
ここを創った人間によれば、「ホテルではないものを創りたかった」らしい。

そのコトバの真偽を確かめるべく、タイの旧正月にあたる4月中旬、アマンプリに行ってまいりました。
上の写真はなんだか絵葉書をスキャンしたみたいな平板なもので恐縮ですが、当方がレセプションホールから撮影したもの。
まさに、このまんま。

たしかに「ホテル」ではなかった。
受付には小さな机のうえに宿帳と電話機があるだけ。
PCもレジスターも見当たらない。
カーペットもない。
エレベーターもない。
人々のざわめきも聞こえない。
あるのは南国の鳥たちのさえずり、海から聞こえてくる波の音。

ハイテク機器とジムを備えた都市型タワー型ホテルだと立派な制服をきたドアボーイやコンシェルジェの丁重なもてなしが当方の背筋をムリヤリ伸ばさせたり、こわばらせたりするのだが、ここにはそれがまったくない。
働いている人たちは(表立っては)現地の人ばかりで、みなアルカイック・スマイル。
その多くが裸足なんである。
なんだか、すべてがなつかしいアナログ的感覚。

滞在客はすべて「パヴィリオン」と呼ばれる一戸建てのコテッジで過ごすことになる。
ここも地元のチーク材を主体にした素朴な小屋で、ベッドサイドにはタイの寺院でみかける屋根の尖塔が飾られているといった佇まい。
テレビもラジオも備えられておらず、わずかにCDプレーヤーと宿が制作したCDがあるのみ。
日本でいえば清潔な農家のたたみ上でゴロンとしているような空気なのである。

たしかに、タイの物価水準に比べて格段に高い料金設定は指摘しておかなければならないが、それでもここでの数日の滞在の記憶は長いあいだこころから離れることはない、と思わせるだけのものがある。
「ホテル」では実現できないもの。
それがコトバ通り、ここにはあったような気がする。

20年間のあいだに世界中にアマンプリの後継者を作ってきた会社、アマンリゾーツ(Aman Resorts)はもうすぐ京都にも新しい施設をオープンさせるとか。
当方としては、現在ブータン王国に4つ点在しているアマンコラ(Amankora)のうち、標高2635mに位置するアマンコラBumthangが次なる目標。
さ、明日からまたセッセと働かなくっちゃ。

ホテルを否定し、新しい宿泊形態を模索する。
「破壊から創造へ」はアートの世界だけではなかったんですね。

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8 08, 2007

ビアンコ・カラーラと対話したか

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昨年7月3日に当ブログでご紹介した、アルテピアッツァ美唄(びばい)。
炭鉱の町にあった木造小学校校舎を中心に、彫刻家安田侃の作品を校内や屋外に配した美しいスペース。
ここで大理石を使った彫刻を教えてくれる催しが始まったという。
以前NYのイサム・ノグチ・ガーデン・ミュージアムを訪れた際、ミュージアム・ショップで彫刻用の石と道具と解説本がひとつの箱におさめられた入門者用のセットが販売されていて、大いに食欲をそそられたのだが、なにせ相手は無骨な石ころである。
ながい道中、この重量級の連中とつきあってゆくのは難しいと泣く泣く断念した経緯がある。
しかし、この企画を知らせるハガキを見て、ハラは決まった。
NYのカタキを北海道で討つ。
最近頻度の増した札幌出張の休みを利用して、美唄へ行ってきました。

ここで、安田侃の作品をご存知ないかたのための8行知識。
東京は六本木のミッドタウン正面広場に、丸い穴のある黒い大理石を磨きこんだ立体が置かれており、記念撮影の格好のスポットになっている風なのだが、この作品が安田侃の手になるもの。
それ以外に東京では有楽町の東京フォーラム中庭に置かれている白い大理石の玉石のようなものが有名か。
イタリアは大理石の名産地ピエトラサンタにアトリエを構え、その作品はヨーロッパをはじめ世界に。
現在62歳。

「こころを彫る授業」と銘うたれた会場はきれいに整備された園内の一角に最近建てられた木造の体験工房「ストゥディオ」。
台風5号の接近もなんのその、この日は10人程度の受講生。
女性あり、夫婦で参加あり、2個目の作品を手がけるというオジサンあり。
最初にひとり1個、1辺が30センチもあろうかというズシリと手ごたえのある白(ビアンコ)大理石が渡される。
聞けば、ミケランジェロがあのダビデ像を作ったピエトラサンタ産でカラーラ港から船出されてきたものらしく。
正真正銘のイタリアンブランドなのである。
「授業」というからには手取り足取り教えてくれるのかと思いきや、彫刻に使う道具とその使い方のレクチャー以外は「あとは石と対話しながらやってください」。
おいおい、家族と対話するのも難儀しているというのに、どうやって石と対話するのか教えてもらいたいよ。

でもね。
左手に鉄のノミ、右手にハンマーを握って、遅々として進まない作業を半日も汗をかきながらやっていると、なんだか無垢の白い石ころに愛着みたいなものが生まれてきて。
上の写真は10時から始まった作業が夕方4時の終盤に近づいた時点での、わが作品の進捗状況。
これをあと1日か2日かけて、さらに中心部を掘りすすみ、外周を整え、全体を研磨してゆく計画。
いろんな角度から眺めていると、中央の凹んだ部分に小さな金銅仏や懸仏に鎮座していただいてもいいなあ、と夢もふくらんでゆく。
これが「対話」っていうことかなー。
(作りかけの作品は工房に預けることができる)

それにしても、陶芸、あるいはウッドカービングと違って、カタチを整えてゆくのは至難である。
おまけに時間が山ほどなくてはならない。
1日ハンマーを握り続ける握力もいる。
よく彫刻家のコトバとして「この像は大理石から掘り出されるのを待っていた」というのがあるが、当方のわずか1日の体験からすれば、これは後付のコトバ、あるいは伝記作家の作りものとしか考えられない。
サモトラケ島の土のなかからヴィーナス像を発掘するようなわけにはゆかないのだ。
しかし、だからこそ得られるものも格段に大きい。

なんでもお手軽にできてしまう世の中の、これは最後の秘境かもしれないなー。
はやく美唄へ戻って続きをやらなくちゃ。


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7 03, 2006

炭鉱の町に未来はあるか

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彫刻家安田侃のミュージアムが北海道は美唄というところにあると聞いて、札幌へ行ったついでにレンタカーでひとっ走り。

美唄(びばい)。
札幌から眺めのいい高速道路を、北へ1時間。
もともと夕張などと同じく炭鉱の町だったというのに、ほとんど昔日の面影を見つけることはできない。
三井美唄炭鉱、三菱美唄炭鉱など財閥系資本が大正初期から操業をはじめ、一時はゴールドラッシュのごとき活況を呈していたらしいのだが(石炭のことを「黒ダイヤ」なんて呼んでいた)、石炭から石油へとエネルギー政策の転換により昭和40年代に次々と閉山に追い込まれる。
その命、わずか50年。

この美唄の地で安田侃が生まれたのは昭和20年。
おそらくは炭鉱の町の隆盛や没落、落盤・ガス爆発事故、労使紛争などをしっかりと見ていたんでしょうね。
芸大卒業後、イタリアの大理石の産地ピエトラサンタへ移住し、アトリエを構える。
その作品は白大理石を球状に磨いたものや、のみで削ったあとが見える四角い立体物が多い。
東京でも有楽町東京フォーラムの中庭に置かれていたり、以前は庭園美術館のアプローチに巨大な作品が立ちつくしていたので、覚えておられるかたもいらっしゃるのではないか。

このミュージアム、正確には「アルテピアッツァ美唄」という。
写真のように青い芝生が広がる丘の斜面に安田侃製作の大理石の作品がいくつも置かれている。
もとはといえば、児童数1,250人(1学年200人!)もかかえたこともある小学校の敷地を活用し、屋外と残された一部の旧校舎、体育館を利用しての展示は、土地の広い北海道ならではの開放感があって、東京暮らしの身にはまぶしい。
(校舎を利用した展示はNYにあるイサム・ノグチ・ガーデン・ミュージアムを彷彿とさせる)
訪れたときは近隣小学校の児童たちが木陰に集まり、弁当をひろげてワイワイと食事の最中であった。
過疎の町に、手入れされた芝生と、静かな彫刻と、小学生の歓声。
なんだか思いもかけないハーモニー。

もちろん、この裏側には地元自治体、ここで働くNPO、地元ボランティアの人たちの隠れたるサポートがあるわけだが、そんなことをすこしも感じさせずに、時間がゆっくり流れてゆく。
聞いたところによれば、写真手前の小さな白大理石がうずめつくされた小川はいかな北海道といえども夏になると苔がはえて滑りやすくなるので、2週間に1度スチームガンでひとつひとつの石を裏返し、洗浄するのだとか。
アタマが下がります。

さらに1時間北へ走れば、いま人気の旭川・旭山動物園。
でも、その前に少し寄り道していただければ、都会の垢、落とせます。

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12 02, 2004

冬になると美しくなる山

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銭湯の壁に描かれた絵が象徴するように、おおかたの日本人にとってはなんだか見飽きた、陳腐なものに映る富士山だが、冬に入るとなぜか格段と美しく見える不思議。

富士山北麓。
標高1200m。
気温がマイナスになる夜ともなれば、東京では見ることのできない星空。
そして何よりもまったく音が聞こえてこない「サイレント・ナイト」がオマケにつく。

今年は例年に比べてさほど寒さも厳しくなく、いつもはとっくにオープンしている人工雪スキー場もまだ様子見の状況だとか。
このまま温暖化が進んで、富士山の雪景色もアレが最後だったナ、なんてことがないようにココロしなくちゃネ。

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