ただただ撮り続けることの価値
九州生まれのひとりの写真家が若き日から北海道の風景と生活を小さなカメラで撮りためてきた。
「森山大道写真展 北海道<序章>」。
札幌宮の森美術館。
決定的瞬間を鋭く切り取りました、とか、
撮影対象との親密な関係性を構築しながら、とか、
社会に対する告発や主張などとは
およそ無縁な地点に立つ、
なんていうこともないモノクローム風景写真。
ときとして画面は水平を欠き、
シャッターは焦点が結ばれることなく切られ、
小さなフィルムサイズゆえに荒い粒子ばかりが目立つ。
ノーファインダー撮影、
あるいはノーファインダー的構図。
意図がない。
企画がない。
ただひたすらカラダが反応するモノに向かってシャッターが押される。
映画なら「ロードームービー」といったところか。
しかし、そんな写真があるまとまったボリュームで見る者の前に立ち現れるとき、がぜん思索家の日記や書簡集のような「深み」を見せつけることになる。
「バスに乗り列車に乗って北海道のあちこちを写し歩いた。
まれに一泊になることもあったが、
ほぼ連夜、重い足を引きずってアパートに辿り着き、
寒い部屋でひとり食パンをかじりウィスキーをなめ、
また得体の知れない憂鬱にとりつかれて長い夜を苛々と過ごしていた」
まだ清里化する以前の小樽のうす汚れた運河や
直立した固い背もたれをもつ国鉄車内風景など、
なぜか戦前の風景のようにも見えてしまうが、
78年以降に撮りためたものと知れば、
この30年間に私たちの周囲に起きた変化は
想像以上に激しかったのでは、と思わざるを得ない。
この写真展は日程と展示写真構成を変えながら
道内5か所(アルテピアッツア美唄など)で開催される。
冒頭の写真は宮の森美術館前で森山大道風にカメラを傾けて撮影したものだが、うまく撮ろうなんて下心がある分、やはり写真家のようにはいかないよネ。
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