自分の居場所がみつからない
渋谷のBunkamura には「ワイエス」を観に行ってきたばかりですが、
ここの1階にも小ぶりなGalleryが設けられているのはご存知ですよね。
ここで19日から始まったのが「鈴木雅明展」(11月26日まで)。
じつは去年6月に「フランク・ゲーリー」というヤンチャな建築家のドキュメンタリー映画をBunkamuraで観たあと、フラリと立ち寄ったら、この人が「-Light-」というテーマで個展をやっていて、それが結構印象に残っていたので。
今回の作品も昨年の続編という感じでしたが、どーゆー絵かというと。
作家が撮影した写真から描きおこしたと思われる都会の夜の風景。
高感度フィルムを利用したのではと想像される、夜なのにみょうに明るい街角。
放置された自転車、ガードレール、高速道路の高架、水銀灯のさみしい輝き。
新線開通で開発されつつある人工的な駅前みたいな。
その景色に貼りつけられているように、ポツネンとひとりの人影。
なんだか帰る家はちゃんとあるのに帰る場所がないと感じさせる登場人物。
カゲが薄い。
昨年はじめてこの作家の絵を観たときの印象は、じつは「写真をもとにした絵」に対するかすかな拒否感が作用していて、いいけどチョットなー、というフクザツなものだったんですなー。
というのも数年前NYはチェルシーの新興画廊を見て歩いたのですが、展示作品の多くが写真をPhotoshopでいじった絵やプロジェクターを使って描いたと思わせるものばかりで、「なんか安易」という感想を強く持っちゃってたもんですから。
(No sweat, No gainと刷り込まれた世代なんで、なかなかそこから外に出れないのか)
でも、今回は「やっぱりいいかも」。
というより、「いいゼ(キッパリ ! )」。
小説の世界では吉田修一が「悪人」や新刊「元職員」なんかで、ごく普通の人たちの不安定感を描いていて、いまという時代・社会の特徴をうまく文章にのせているけれど、まったく同様。
この風景は2008年なんだねー。
Edward Hopper(1882-1967)も夜の食堂(ダイナー)を描いた「Nighthawks」や、レストランのテーブルでひとり物思いにふける女の孤独を描いた「Automat」などの作品を残しているが、同じ都会の疎外感でもやはり生きている時代が違うと切りとられる風景も温度湿度も変わってくる。
最後に、誤解なきよう付け加えておくと。
カメラや光学機器を利用した絵がすべてNo!って言っているわけじゃなく。
そーじゃないとフェルメールまで否定することになっちゃうからナー。
あのDavid Hockneyが研究成果をまとめた「Secret Knowledge」(日本語版は青幻社)は、そのあたりのことを解明したおそるべき本で、カラバッジョやベラスケスの「まるで生きているような」表現の成り立ちがよーく分かるようになっており、当方のかための頭脳を大いにモミモミしてくれたのであります。
「巨匠も用いた知られざる技術の解明」という副題は、ウソじゃないから。
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