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5 30, 2004

東京生まれのディビッドくんは色黒

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先日、「ダビデ像お色直し」という記事を目にしたので、これを想い出しました。

六本木通りから恵比寿駅に抜ける駒沢通り。
この広い道に面して立っているブラック・ダビデ。
おそらく本物と同じくらいの大きさではないかと思われる彫像が建物の凹みに置かれています。
なんで黒くしちゃったんでしょうね。

建物はメンズを得意とするアパレルメーカーの持ち物。
同じ敷地内には木造の雰囲気のあるカフェを作っているというのに、どーして?
まあ、自由の女神よりはなんぼかまし、でしょうが。
汐留の高速道路脇にも港区立「イタリア公園」なるものが生まれていますが、そのうち日本中が鬼怒川の東武ワールドスクエアみたいにコピーとミニチュアだらけになっちゃっうんじゃないかと、本気で心配しています。

この際、言っておこう。
トロイの木馬は、映画だけで十分。

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5 27, 2004

活字の名刺作りませんか

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銀座の東側、築地警察に近い場所に下町風の両開きのガラス戸のお店で営業を続ける、中村活字店。
このあたりは「銀座に住める」という謳い文句のマンションが続々と建てられていて、店の2軒隣も、裏も、ただいまマンション建設真っ只中。
「うるさくて、仕事になんねーよ」とは、ご主人の中村さん。

このお店、いまでも活版印刷に欠かせない活字がこうして残されている。
戦前から始めたお店だが、戦時中は鉄砲の弾丸に鉛を使うため、1本残らず供出させられたとか。
戦後ふたたび印刷屋を再開したが、DTP全盛の現在では、活字印刷を頼もうという人はほとんどいない。
「足りなくなった活字を新たに追加しようにも、入手しにくくなっちゃって」。

活字も、活版を組める職人も、現状かぎり。
でも、活字印刷ならではのインクのにじみ、少しばかり紙に圧力がかかって凹んだ手触り、そしてタイプフェースの端正さといったものが社会から消えてしまうのは、なんとも悔しい。
お店の奥のほうには活字の母体とでも言うべき真ちゅう製の字母も大切に保管されておりましたが、「これも、捨てるしか、ねーかなぁ」。
そ、そんな。

ベニスには昔ながらの活版印刷で手刷りの名刺を作ってくれる小さなお店があり、世界中の著名人がわざわざ注文にくるらしい。
この国にそういう時代がやってくるのかどうか、分からないけれど、せっかくこうして生き残った活字、なんとかもう一度舞台に立たせてあげたいなぁ。

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5 25, 2004

再考 近代日本の絵画

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この美術展の正式な名称は「再考 近代日本の絵画 美意識の形成と展開」。
この美術館の正式な名称は「東京藝術大学大学美術館」。
(第2部は木場の東京都現代美術館でやっています)

板橋区立美術館だって「これであなたは狩野派通」なんて民放風のタイトルでその気にさせている時代なのに、これじゃ学術論文か、できのわるい企画書といった感じ。
「わたしたちと同じハナシができないような人はべつに来てくれなくてもいいんだよネ」って感じ、しません?
建物の名前だって「芸大美術館」ぐらいに短くしても誰も迷わないと思うんだけれど、やはりアカデミックに、アカデミックにいきたかったワケね。

それでも、気をとりなおして行ってきました。
高橋油一の「鮭」。
岸田劉生の「切通」。
山本芳翠の「浦島」。
黒田清輝の海辺の風景を描いた文庫本サイズの3点も、価値あり。

ミュージアムショップで「鮭」グッズ、発見。
高橋由一も、まさか自分が描いた新巻鮭が携帯ストラップやキーホルダーになろうとは考えてもいなかっただろうけれど、こんなものはここでしか買えない。
半身を削がれちゃった2センチくらいの鋳物の「鮭」をぶらさげていたら、たんなる変わり者にしかみえないけれど、これはこれで、すこーし価値あり。

NYメトロポリタン美術館のミュージアムショップで人気なのが青いカバの「ウィリアム」。
もちろん「ウィリアム」は最初から付いていた名前じゃなくて、古代エジプトの出土品に誰かが勝手に愛称をつけちゃったんだろうけれど、こういうことも結構必要じゃない?

むかし、このカバのカフスボタンを世話になったマイクロソフトの人にお土産でプレゼントしたことがあった。
「これ、ウィリアムて言うんですよ」って言ったら、「じゃあ、社長がいつもオレのこと見守っているってーことだ」。
「は?」。
「ビル・ゲイツのビルの正式な名前は、ウィリアムだからさ」。
彼がそのカフスを気に入ったのかどうか、定かではないが。

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5 23, 2004

おそっさまでヒーリング

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杉並堀の内、妙法寺。
厄除けお祖師さま、地元のよびかたは「おそっさま」。
江戸時代には浅草寺に並ぶ人気があって、落語「堀の内」はここへの参拝噺。

きょうは三のつく日で縁日だというのに、いまにも降りだしそうな天気のせいか、人出はちょっと少なめ。
子供の頃は縁日になると、少年雑誌の付録だけを売ってるオジサンや飴細工、紙せんべい、金魚すくいなどの露店が出て、人にぶつからないで歩くのが大変なほどの混雑だったけれど、時は流れる、ですかね。
門前には遠方からの参拝客をあずかる木造2階建ての大きな旅館が威容を誇っていたけれど、いまはスーパー「サミット」が近隣の買い物客を集めているようで。
それでも、祖師堂の前はいつか見た懐かしい光景。
日蓮宗特有の太鼓の響きをお伝えできないのが残念ですが、これはこれで人のこころを明るく高揚させるリズムがあって、むずかしいこと言わずに「南無妙法蓮華経」と唱えていれば、アンタ救われますよ、というこの宗派のとっつきやすさを表現しているようでもありました。

驚いたことに、ここでジョサイア・コンドルが設計したという和洋折衷の鉄門(国の指定文化財)を発見。
コンドルといえば、明治初期に来日したイギリス人建築家で、鹿鳴館をはじめ、ニコライ堂、岩崎久弥邸、開東閣、三井倶楽部など、どちらかといえば威厳や風格で人を圧倒するような西洋建築を数多く手がけた人。
弟子には東京駅を造った辰野金吾や赤坂離宮の片山東熊など。
でも、あの川鍋暁斎の弟子になったりしているところを見ると、やはり建築だけじゃなくていろんなものをココロのうちに秘めていた人なのかも知れず。
鉄門そのものはいまひとつな感じでしたが、コンドルの意外な一面を見たおもいでした。

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5 18, 2004

再開発ばかりじゃ窒息しちゃう

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三田の慶応大学正門、その左手の三角州のような場所の一角。
ちょうどイタリア大使館へ抜ける坂道に入ったところ。

津国屋(つのくにや)。

明治26年、1階を酒屋店舗として生まれたこの家をを改装して居酒屋にしたのが3年前。
じつはこの建物の隣には蔵もあったのだが、昭和46年に取り壊しちゃったとか。
うーん、惜しい。
それでも、母屋をこうして現役としてきれいに使っているのだから、アタマが下がります。
客層は湯島「しんすけ」より若い感じがするものの、駅前居酒屋にありがちな愚痴や嬌声とは無縁の落ち着き。
お酒はもともと酒屋だけあって、いろいろ選べる。
しかも、どれも安いときている。

改装もメンテナンスも想像以上に負担だったとは昭和22年生まれのご主人、伊藤さんの弁。
そうだろうーなー、車だってちょっと古い年代の愛車をなんとか手元においておこうとすると、これがとんでもない金食い虫になったりして。
新しい車のほうが速い、安全、ランニングコストもだんぜん安い。
そろそろ替えたら?
合理主義者の反論しにくい提案に、たいていは白旗をあげることになる。

でもね、むかしの記憶をつないでくれる場所をいつでも目にすることができるのは、ありがたいんですよ。
メンテも大変でしょうが、応援してます。

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5 14, 2004

想い出すのは「リストランテの夜」

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汐留の一角に生まれつつあるイタリア色の新市街。
ヴィータ・イタリア。
ついこの間までチッタ・イタリアって名前でアナウンスしていたのに、どうして変えたんでしょうね。

同様なコンセプトで先駆けた川崎ラ・チッタ・デッラは最近になってついにイタリア一色だけではやっていけなくなったらしく、残念ながらラーメン屋まで登場したとか。
こちらヴィータ・イタリアもどこまでその意思が貫くことができるか、ですね。

そこで想い出すのがガーデンシネマでやっていた「リストランテの夜」。
出演者で知っていたのはイザベラ・ロッセリーニくらいだったか。
イタリアの片田舎からレストランを成功させようと期待に胸をふくらませてアメリカにやってきた兄弟のお話。
兄はアメリカ人たちに本場のイタリア料理を知ってもらおうと夢を描く。
弟はお店の収支を任され、金策に走り回る。
しかし、思ったようにお客は来てくれない。
兄と弟。理想と現実。どこかでつけなければならない折り合い。
これはレストランだけじゃなく、広告だって、アートだって、建築だって、何かをカタチにしようとするときに必ず顔を出す永遠の課題。

でも、外野としてはセガフレード・ザネッティみたいなチェーン店じゃなくて、朝6時からやっている個人経営のバールなんかも期待しちゃうんだけど、ムリなんでしょうね。


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5 06, 2004

見ているのに見えていない

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1年中、同じところを通っていても、目に入らないというか、気がつかないというか、そんなものっていっぱいあるんですね。
地下鉄日比谷線六本木駅改札口のすぐ近く。
目の不自由な人のために設置された駅構内のレリーフ地図。
遠くから見たときは何か現代美術のプレートでも、と思って近くに寄ってみたら、これでした。

アラン・デ・ボトン「旅する哲学」(集英社)、その本の末尾をかざるコトバ。

ピンクとブルーのパジャマを着て、自分の寝室という限られた場所のなかで満足したグザヴィエ・ド・メーストルは、わたしたちを優しくそっとつついて、試してごらんとうながすのである------------地球の遠い半球に出発する前に、わたしたちがすでに目にしているものに注目してみたら、と。

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5 04, 2004

六本木に負けてはいられない

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丸の内仲通り。
むかしはただのオフィス街。
日曜日なんか猫一匹いなかった。
だから映画やCMの撮影隊はわざわざ日曜日がくるのを待ってやっていたほど。

それがいまや東京でも有数なブランド店通りに。
これだけの店が自分たちの最新の商品を競って展示しているのですから、この近辺に勤めている三菱系会社員たちの生活感覚も一挙に向上しようというもの。
きょうは少し風が強くあいにくの天気でしたが、そぞろ歩きする人たちはそれでも多く。

写真はその仲通りの舗道に置かれた11体の彫刻のうちのひとつ。
ノエミ・ラミレス・ロペスという作家が作った「考える人」。
どこが「考える人」なんだか、と考えている私が「考える人」なのかもと思ったり。
箱根彫刻の森美術館から拝借してきた作品らしいけれど、貸出料、運搬費、設置代、警備など、結構な出費だろうな、なんて。

丸の内活性化プロジェクトみたいなことがあるんでしょうね。
六本木ヒルズばかりにいい思いはさせたくないんでしょうが、2007年には六本木防衛庁跡地が再開発オープン。
リッツ・カールトンも開業するとなると、丸の内もうかうかしていられない。
六本木ヒルズはあの事件以降、けやき坂を歩く人の数がめっきり減っているけれど、MoMAも始まったことだし。
それぞれやりかたは違ってもアートをうまく利用した「集客」の東西対決となれば、私たちもウエルカム。
去年の「カウパレード」もよかったけれど、外国のイベントをそっくり持ってくるんじゃなくて、自前のアイデアで成功すればもっと楽しいものになるのに。

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5 01, 2004

空海と高野山

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さすが、東京国立博物館。
やはり見せてくれるモノが違う。

それほど食指が動いていたわけではなかたので、関係者からのお誘いがあったときはエラソーに「まぁ、チョットだけみるか」と思って行ったところ。
ワタシがワルかった。
この展覧会のポスターで主演をはっている制多伽童子立像をはじめとする8体の童子像もさることながら、その両脇に置かれた運慶作と推測される深沙大将立像、執金剛神立像はうれしい収穫でした。
左右対称の静かな仏像ばかり見ていた当時の人たちからすれば、いまにも動き出しそうなこの彫刻が畏敬の対象となったのではないかな、なんて想像したりして。
日ごろから運慶、快慶はミケランジェロを超えている、とひそかに確信していたその思いがさらに強まった作品でした。

もうひとつ、厨子入倶利迦羅竜剣と銘うたれた長さ50センチほどの護身用と思われる小ぶりな剣。
素朴な木製のさやを蛇のように大きな口をあけて頭から飲み込もうとしている鉄製の竜が、からだをよじってからみついている見事なつくりもの。
モンブランなどのメーカーが万年筆に蛇をからませたり、蝶をモチーフに金属の飾りでくるんだりした限定版を売り出して成功しているようですが、鎌倉時代の日本にはすでにこうした発想があったんですね。

これだけの美術品を高野山のお坊さんだって見ることができない。
だからお坊さんもたくさん見に来られている、との話。

そういえば高野山の桜、今ごろがいいんだろうなぁ。


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