2010/01/03

苦しいときのサン・テグジュペリ頼み

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みなさま、あけましておめでとうございます。

新春早々、不景気なハナシで申し訳ありませんが。
本日の日経新聞に民間エコノミスト17人に今後の景気動向を占ってもらうという記事が出ておりましたが、「景気回復を実感できるのはいつ?」という質問には「2012年」という回答が最多となっておりました。
日ごろからエコノミストやアナリストといった人たちの予測能力は「新宿の母(占い師)」を超えることはないと思っている当方も、すくなくとも本年が「ガマンの年」であることは街を歩いていれば十分認識できるところでありまして。

じつは当方、毎晩犬の散歩をかねて小1時間ほど、やれ恵比寿だ、麻布十番だ、青山だ、と徘徊しておるわけですが、昨年末はある居酒屋の前を通るときまってその従業員らしき中年男性から手作りのチラシを渡され、「よろしくお願いします」と頭を下げられ。
そのうちに「ウチの店は犬もOKですから」と寒風吹きすさぶなかで懇願される始末。
犬がウロウロしてるような居酒屋はなんだかなー、と思いつつも、その崖っぷち感が痛いほど突き刺さってきた年の瀬でありました。
あの店は、あの従業員は、無事越年できたのかなー。

ところで、写真を見てください。
当方の本棚にあるのは、自ら操縦する飛行機が不時着して、失意の真っ只中にいる一人の男のモノクロ写真。
場所はリビア砂漠。
プロペラは無残にひしゃげ、機体には火災が発生したと思われる焼け焦げが。
男は救援機が自分を探してくれるのを不安げに待っているようにも見える。
(砂漠に不時着した先輩パイロットの何人かは部族民に虐殺されている)
その男の名前、サン・テグジュぺリ(Antoine de Saint-Exupery)。
おそらくは軍人としてではなく、郵便飛行士として操縦桿を握っていた頃であると思われるが、「人間の大地 TERRE DES HOMMES」(みすず書房:サン=テグジュペリ・コレクション3)の中扉でこの写真に出会ったとき、不思議に勇気づけられたような気がしたものでした。
だって、もしもこんな壊滅的な状況が訪れたら、誰だって「もう二度と飛行機に乗らない」か、もう二度と立ち上がれない、って方向へ進んじゃうじゃない。
でもサン・テグジュぺリは飛びつづけた。
飛行機から見える大地を愛し、激変する天候と戦い、そのなかで地球や自然・生命を思索し・・・・。
軍隊に入り、P38ライトニングで地中海を偵察飛行中に消息不明になるまで。

だから、サン・テグジュぺリにとっては不名誉な不時着証拠写真も、当方にとってはなにかのときに大いにチカラになってくれる貴重な存在であるわけです。
多少苦しくなっても、この写真の主に比べれば・・・・。

「苦しい」ついでに。
フルマラソンのランナーとしても知られる村上春樹のランニング記録「走ることについて語るときに僕の語ること」(文芸春秋:村上春樹風に言えば「僕はこの本の名前を正確に言えたためしが一度もない、どうしてこんなストレートな翻訳調の書名をつけちゃったんだろう、やれやれ」といったところでしょうか)には、こんなずっしりとした言葉が紹介されている。
Pain is inevitable.Suffering is optional.(痛みは不可避だが、苦しみはこちら次第)。
つまり、足を襲う痛みがあれば走り続けることはできないが、苦しくなったとき走るのをやめてしまうかどうかは、ひとえにその人の選択にかかっているのだ、と。
たしかに。

2010年、苦しい時間帯はまだまだ続く。
でも、なんとか生き延びましょうよ。


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2009/12/24

プラタナスの逆襲

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長生きするもんですな。
ウチの近くを徘徊していたら、ヘンな樹を見つけましてね。
プラタナスですか、デザート系迷彩服のような模様を樹皮にまとっている樹なんですが、
よ~く見てください、写真を。
ガードレールの鉄パイプを上下2本とも樹の中にすっかり取り込んでいるではありませんか。
恐るべき生命力、っていうか、過剰な適応能力、っていうか。
おそらくは長期にわたる鉄パイプと樹とのギシギシいうような死闘があり、最終的にプラタナスが勝利をおさめ、いまではそんな戦いがあったことも忘れさせるような平和な光景がひろがっている・・・・。
タイのアユタヤ遺跡にはガジュマルの根っこが仏像の頭をくわえ込んだ場所がマイナーな観光スポットになっておりますが、こちらは自然界の力強さを感じさせてくれる場所であります。
ま、ひとによっては「気味ワル~」てな感想もありかも。

さて、同じ青山の裏通りに土器さんというかたが主宰しておられるDEE'S HALLというギャラリーがあるんですが、
そこで「前川秀樹 像刻展 ウルゲル urger」を見てまいりました。
桜の樹などを彫りこんだ大小30点ほどの人物像が展示されておりましたが、どれもがすばらしく。
写真でご紹介できないのが残念ですが、とくに動きの表現には目をみはるものがありました。
向かい風でなびく長い髪、風をうけてふくらむコート、風に向かって進む決然とした目・頬・口元。
会場に展示されていた作品のほとんどに赤丸が貼付されていたのが分かるような気がします。
会期は12月16日から25日まで。
当方がおじゃましたのが21日。
もう少しはやく行っとけばよかったか、と思わせる内容でした。
この作家、要チェックだなー。

教訓:展示会は初日に行くべし。


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2009/11/26

シンガポールだって教えてくれる

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香港へ行ったついでに駆け足でシンガポールへ。
タートルネックのセーターでも寒かった15℃の香港からシンガポールに入れば、気温29℃、湿度77%。
今度は8月の東京なみに蒸し暑さ。
そりゃ赤道直下の国だから仕方がないか。
ハワイアン風短パン&サンダルスタイルで闊歩したいところだが、あいにくそこまで持ち合わせがない。
しかも雨季ときているから、午後からの気まぐれな土砂降りにも対応しなくてはならず。
服装計画が結構重要なところなんですね。

この国は誰かが「明るい北朝鮮」と言っていたように、政府が規則・罰則を連発して社会主義体制のようにも見える国で「好きになれないなー」という人も結構いるが(ただし北朝鮮ほど厳しくない)、町を歩く市民たちはみんな満足しているようにも見える。
そして、みんな 穏やかで親切 !
街中もグリーンが多く、清潔感があって、気持ちがいい。
ちょっとオアフ島のダウンタウンに似ているような空気感。
聞くところによると、電線はすべて地中に埋められているそうで、なるほど電柱は1本も見当たらない。
一方で、路地裏や横丁、怪しげなお店や人ごみといった「影」や「負」の世界が好きな人にはまったくもって明るすぎちゃって元気が湧いてこないかも。
(こっち側の人はやはり香港・マカオがおすすめ)
いまは静岡県知事におさまっちゃった学者・川勝平太がそのむかし「ガーデン・アイランド・ジャパン構想」を発表したことがあったが、むしろシンガポールにこそこの「ガーデン・アイランド」という美しい称号を与えたい気がするんですが。

写真はシンガポール川の川岸に作られた子供たち数人の彫像(ちょうど雨がパラパラしかけた時間帯)。
むかしここの子供たちはこんな風に裸で川遊びをしていたんですよー、って語りかけてくる感じ、しませんか。
この彫像の背後にはフラトン・シンガポール(The Fullerton Singapore)という素晴らしいホテルが建っている。
シンガポールのホテルと言えばラッフルズ(Raffles)のほうが有名だが、ここは中央郵便局だった荘厳な石造の建物をホテルに改装しているだけあって、その雰囲気は重厚なつくりの会議室、といったところ。
ノートブックPCを抱えたビジネスマンが忙しそうに行きかい、当方のような暇つぶし風物見遊山的ジーンズ姿はほとんど見かけない。
20世紀初頭、どこの国でも郵便は一大国家事業でそのヘッドクォーターである建物は権威ある様式によって建てられていて、いまは博物館・美術館やホテルに転用されている例が多い。
鳩山邦夫前総務相が取り壊しに文句をつけた東京駅前の中央郵便局だって、上手に転用すれば歴史的資産になるのに、日本人はどーしても壊さないと気がすまないようで。
もうそろそろマネーの価値観だけが大手を振って歩く世界から卒業してもいい時期なんだけど、ナー。

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2009/11/25

香港でチャイナパワーの爪先に触れる

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香港へ行ってまいりました。
写真は香港島中環(Central)駅からヴィクトリアピークへ上るピークトラム(登山電車)駅へ向かう歩道橋の上。
英国人とおぼしき芸術家風レディが縦長の大きなキャンバスを垂直に立てて、ますます高層化&個性化するビルディング群を切り取っておりました。
制作中なので、後ろに立ってジロジロ眺めるわけにもゆかず、写真を撮らせて欲しいとだけ断ってその場を即立ち去ったのですが、あとからよくよく写真を眺めてみれば敬服すべき出来映えではありませぬか。
たしかジョージア・オキーフも最初の頃は、NYのビル群を写実的な筆致で描いていたし。
このキャンバスの大きさからすれば、もう何十年も前に素人の域を抜けでている人なんでありましょーな。

・・・と、こんな人を町なかで見かけると、さぞかしアートの匂いにあふれた都市なのでは、と思いたいところだが、実態はすこし違う。
当方が歩き回った地域がたまたまアートっぽい匂いがない場所だったのか、あるいは全体的に希薄なのかは判然としないが、少なくとも画廊やアンティークショップにほとんどお目にかからなかったなー。
その一方で、イヤというほど目につくのは、ジュエリーショップや高級時計店。
とくに金のネックレスや指輪を扱っているお店には盛りこぼれんばかりの客の大群。
中国人のカップルや家族があの商品、この商品とショーケースのうえに並べて品定めをしている。
客にあわせて店員も大量に配置されていて、お店のなかは熱気が爆発寸前まで充満しておりました。
しかも、こんな光景が夜9時、10時と続いてゆく。
数年前香港へおじゃましたときは、携帯電話の店に沢山の若者が群がってはいたが、その当時とは比べものにならないほどの大金・小金を持った買い物客の大群。
津波のような、チャイナパワー。
「聞きしに勝る」とはこのこと。
あの人波、あの熱気はメディアでは伝えきれない部分かも知れない。

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2009/07/17

葉山で絵になる小道を見つける

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神奈川県立美術館葉山分館で「画家の眼差し、レンズの眼 近代日本の写真と絵画」という、地味ながら興味深い催しがあるというので、ポンコツ車の振動と騒音にまみれながら、夏の湘南へ行って参りました。

じつは「写真」と「絵画」の相関関係みたいなことに、なんとなく興味を持っておりまして。
この春、札幌芸術の森で開催された「絵画と写真の交錯 印象派誕生の軌跡」も、仕事の合間にしっかりチェックしていたわけですが、今回の葉山のほうはサブタイトルにあるように明治期以降の写真技術の発展が絵画に与えた影響について、多くのサンプルを用意して考察するという企画。

会場をまわって感じたことは、当時の写真家・写真師たちは光学や薬学などの相当の知識が必要とされたのではなかったか、ということ。
カメラ草創期ということもあり、撮影機械もさることながら印画紙や定着液など、次から次へと新しいものが登場してきた時代。
撮影技術とかカメラワークはある程度経験の産物ともいえるが、薬品の知識は勉強しつづけなければ追いついていけない。
おそらくは科学者と同じように、生涯、更新されつづける情報と格闘していたんでしょうね。
一方で、そうした困難をものにしながら、たんなる記録写真ではあきたらず、アートを模索する写真家も現れてきたり。
どんなジャンルでも、変動期って、緊張感もあり刺激的ですなー。

さて、今回葉山へ来たのにはもうひとつ目的がありました。
裕次郎が大好きだったという、1個70円の葉山コロッケ?
いやいや、冒頭写真の場所を見たかったんです。
葉山分館の敷地左横に通っている海に向かう長い小さな道。
なんだか、どこかで出会ったような、なつかしい感じがしませんか?
ダラダラと浜辺へ向かって下ってゆくと、湘南の海が目の前に。
左右の砂浜にはもうよしず張りの海の家が営業中。
左手には御用邸の磯が広がっている。
ナイス・ロケーション!
冬もいいかも。

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2009/07/14

一品制作か、大量生産か

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3年ほど前に黒川紀章の設計で六本木にできた国立新美術館。
ご近所だったのですが、どーもピカピカした新しい建築物や新名所的なものを苦手とする旧弊なキャラが災いしてか、いままで足を踏み入れたこともなく。
ただ今回は、あのラリックがたくさん見られる、ということでブラブラ行ってまいりました。

ルネ・ラリック。
やはり、天才ですね。
アクセサリーやガラス工芸の類いに興味のないかた(とくに中年男性)は、ほんと、まったく足が向かない企画とは承知しておりますが、ま、いちど1900年のパリ万博あたりに活躍したクラフトマンの力量を見てあげてください。
わが国でも琳派などの職人の手仕事はすばらしいものですが、ラリックはすべての作品に「ラリックらしさ」を残している。
小さな宝飾品や香水瓶、大きな花瓶や室内装飾用のオーナメントにいたるまで、素材や形状など一定の枠組みにとらわれることなく自由奔放。
そして、どこかにギリシャ彫刻やルネッサンス絵画のかけらが見て取れる、というような。
想像するに、次から次へアイデアが湧きあがっていたとしか思えない。
仕事するのが楽しかったんだろーなー。

一方で、作品を年代順に展示された会場を歩いていると、折からの工業化社会へシフトしてゆく時代の潮流にあわせ、それまでの1点ものの制作から、大量生産できる作品へとシフトしてゆく歴史の流れも見てとれる。
型にガラスを流し込み、同じものをたくさん作って1点ものよりはるかに安い価格で提供する。
それはそれで「アートの大衆化」というプラスの側面をもっているとは思うのだが、同時に失ったものも大きい。
たとえば、この時代、欧米各国では飛行機メーカー、オートバイメーカー・自動車メーカーなどが何百社と乱立し、それぞれ思いつくままにユニークな、どこか人間くさい製品を作っていたのだが、100年経過してみれば結果的に世界的な規模をもつ数社に集約され、そこから提供される製品はほとんど似たようなものばかり。
自動車産業は男らしさを失った(魅力的なクルマを作れなくなった)、とカッコいい言葉を吐いてデロリアンがGMから飛びだしたのが1975年だが、それ以降も工業化の波はおさまらない。
そして、いまやインドのタタが20万円で自動車を売る時代。
家を建てようと思えば、数ある分厚いカタログからパーツを選んで組み合わせるだけで完成してしまう時代。
モノを作る喜び・所有する喜びは、悲しいかな、20世紀前半で地球上から消滅してしまったのか。
そんなことも副産物として考えさせてくれる構成でした。

ラリックといえば数年前、箱根仙石原にラリック美術館が誕生。
個人美術館としてはコレクション数はなかなかだが、国立新美術館の企画展はやはり「国立」。
カバーしている領域が広く、箱根で感激した以上の驚きがある。
さらにびっくりしたのは、展示作品の多くが日本人の「個人蔵」とだったこと。
白金にある旧朝香宮邸(現東京都庭園美術館)はラリック展示場と化しているし、日本人にラリック好きが多いことは知られているが、これほど数多くの愛好家が散在しているとは。

ま、もっとも、これも工業化のおかげかも知れませんね。

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2009/07/10

ただただ撮り続けることの価値

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九州生まれのひとりの写真家が若き日から北海道の風景と生活を小さなカメラで撮りためてきた。
「森山大道写真展 北海道<序章>」。
札幌宮の森美術館。

決定的瞬間を鋭く切り取りました、とか、
撮影対象との親密な関係性を構築しながら、とか、
社会に対する告発や主張などとは
およそ無縁な地点に立つ、
なんていうこともないモノクローム風景写真。

ときとして画面は水平を欠き、
シャッターは焦点が結ばれることなく切られ、
小さなフィルムサイズゆえに荒い粒子ばかりが目立つ。
ノーファインダー撮影、
あるいはノーファインダー的構図。
意図がない。
企画がない。
ただひたすらカラダが反応するモノに向かってシャッターが押される。

映画なら「ロードームービー」といったところか。

しかし、そんな写真があるまとまったボリュームで見る者の前に立ち現れるとき、がぜん思索家の日記や書簡集のような「深み」を見せつけることになる。

「バスに乗り列車に乗って北海道のあちこちを写し歩いた。
まれに一泊になることもあったが、
ほぼ連夜、重い足を引きずってアパートに辿り着き、
寒い部屋でひとり食パンをかじりウィスキーをなめ、
また得体の知れない憂鬱にとりつかれて長い夜を苛々と過ごしていた」

まだ清里化する以前の小樽のうす汚れた運河や
直立した固い背もたれをもつ国鉄車内風景など、
なぜか戦前の風景のようにも見えてしまうが、
78年以降に撮りためたものと知れば、
この30年間に私たちの周囲に起きた変化は
想像以上に激しかったのでは、と思わざるを得ない。

この写真展は日程と展示写真構成を変えながら
道内5か所(アルテピアッツア美唄など)で開催される。
冒頭の写真は宮の森美術館前で森山大道風にカメラを傾けて撮影したものだが、うまく撮ろうなんて下心がある分、やはり写真家のようにはいかないよネ。

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2009/05/11

木は人を4回あたためてくれる

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日本民藝館。
渋谷から井の頭線で二つ目、駒場東大前駅で降り、都心の近くにこんなにもしっとりとした住宅街があったのかと驚きつつもあたりの空気を楽しみながら歩くこと5分。
どこか懐かしい雰囲気を漂わせる建物が現れる。

いまは「特別展 棟方志功 -倭絵(やまとえ)と書の世界-」という企画で展示を行っているが、本日ご紹介したいのはその建物玄関。
写真の中央をみてくださいね。
両開き式の引き戸の取っ手部分が訪れる多くの人の指先によって木の地肌が現れて、白っぽくなっている。
ま、古いお寺なんかでもこんな症状になっているところを見かけますが、なんだかとっても落ち着くんですな、これが。
生活している息遣い、っていうか。
歳月の証し、っていうか。
ステンレスやガラス製の扉じゃ、こうはいかない。

「木は3回あたためてくれる」っていう出来すぎたハナシをご存知でしょうか。
たしか、1回目は木を伐るとき。
2回目は斧をふって薪にするとき。
3回目はその薪を暖炉にくべたとき。

でも、「木は人を4回あたためてくれる」っていう風にヴァリエーションも作れそうですね。
自然素材のチカラは、あなどれません。

本日のブログはこれだけ。
「最近チョット文章が長いんじゃない」というご意見に対応したつもりですが、こんどは短すぎ?

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2009/04/26

後期高齢者だって負けてはいない

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クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ Gran Torino」。
いい映画でした(シミジミ)。
ちなみにグラン・トリノとは1982年頃フォード社から発売された2ドアクーペ車の名前。

最近はCGに過剰依存しているハリウッド・スペクタクルばかり見せつけられているせいでしょうか、素直な映像になんだかホッとしました。
とはいえ、78歳のイーストウッドはまさしく年老いたハリー・キャラハン(映画「ダーティ・ハリー」のキャラハン刑事)でありました。
放送禁止用語を連発する頑迷な年寄り。
四六時中タバコを離さず、ビールを鯨飲しながら、喀血を繰り返す孤独な老人。
キャラハンの末路かくあらん、といった感じで。

戦争体験後遺症、アメリカ自動車産業の衰退、人種差別、コミュニティの崩壊など、ちいさなトゲがそこここに用意されてはいるものの、終わってみれば「老い」とか「生と死」という大きなテーマがその背景に浮かんでいたような。

老人ものと言えば、むかしハヤカワ・ミステリ文庫で「オールド・ディック The Old Dick」(1983年)という笑えるんだが少し哀しい探偵ものがありました。
L・A・モースという人が書いた小説なんですが、ひさしぶりに本棚の奥から引っ張り出してパラパラ見てみたら、主人公の探偵ジェイク・スパナーは、なんと現在のイーストウッドと同じ78歳の設定。
ドクター渡辺淳一には負けるかも知れないが、若い女とのベッド・シーンまで用意されている。

イーストウッドは、この映画を境に俳優としての出演はやめるが、監督業はこれからも続けるんだそうである。
(「ミスティック・リバー」なんかもどこかヨーロッパ映画の匂いがする素晴らしい映画でした)
当方の周囲にはハッピー・リタイアメント後は月イチ・ゴルフが唯一のたのしみとおっしゃる諸兄もたくさんおられるが、舞台を降りるのはまだ早い。
まずは「グラン・トリノ」でもご覧になって、気合を入れて・・・。
なに、オレは渡辺淳一路線でガンバってみる?
まぁ、それはそれでお好きなように。

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2009/04/23

センダンハフタバヨリカンバシ、と言うが

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この秋、ハリウッド版鉄腕アトム「Astro Boy」が公開されるとか、
なにかと手塚治虫の話題がにぎやかになってきたと思ったら、
「手塚治虫展」を東京江戸博物館でやっているというので、久しぶりに両国へ。

う~む、やはりスゴい人でございました。
といっても混雑の話ではなく、この漫画家の巨人ぶり。
たとえば、わざわざ手塚治の本名に「虫」を加えたくらい昆虫が好きだった中学時代に描きとめた「昆虫手帳」なる1冊の小さなメモ帳。
精緻に模写された昆虫の学術的スケッチがビッシリ。
その対向ページには、おそらくは特徴や分類と思われる小さな文字の注釈が整然と並んでいる。
ピカソが14歳のときに描いたといわれる「初聖体拝領」などの写実画を見せられたとき、絵の成熟ぶりに感嘆するというより、「歴史に名を残す人って子供の頃からゼンゼン違うんやなー」と、むしろ天才の成り立ち方かたに感じるものがあったのですが。
この人もフツーの少年ではなかった。
栴檀は双葉より芳ばし。

会場では主要な作品の原画と解説が並列的に展示され、それを横に串刺しにして、この作家が生涯をかけてどんなメッセージを読者に伝えたかったのかを感じさせる構成。
中学生のときに体験した戦争への想いや医学生だったときの経験などを通して「生きること」の重みを一貫して作品化したその仕事ぶりは、伝道者や文学者に通づるものがあるなー、と感じた次第。

ところで冒頭の写真は、なにを隠そう、当方が中学生時代に受け取った先生からの年賀状3枚。
消印は昭和34年宝塚、35年初台、36年石神井とあり、先生が31歳でご結婚された頃か。
当時、少年雑誌のマンガ掲載ページ末尾にはたいてい「先生に励ましのお便りをだそう」という編集部コメントが付記されており、中学生だった当方もコドモなりに考えるところがあったんでしょーなー。
年賀状と一緒に写っているのは、会場出口の売店で見つけた「ヒョウタンツギ」の根付けストラップ。
手塚マンガに常連のこの愛すべき脇役を、授業中教科書の隅っこにせっせとイタズラ描きしたもんですが。
しかしながら、当時手塚作品のドレに熱中していたかも思い出せないし、ヒョウタンツギを描くぐらいしかなかったパッとしない当方の少年時代を考えれば、現在の私がその延長線上でウロウロしているのも不思議ではないような気がしております。

まぁ、広い自然界には桂の葉のように落葉してから芳香を放つという、終盤活躍型?の樹もあるというのが、せいぜいの慰めですかねー。

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