7 17, 2009

葉山で絵になる小道を見つける

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神奈川県立美術館葉山分館で「画家の眼差し、レンズの眼 近代日本の写真と絵画」という、地味ながら興味深い催しがあるというので、ポンコツ車の振動と騒音にまみれながら、夏の湘南へ行って参りました。

じつは「写真」と「絵画」の相関関係みたいなことに、なんとなく興味を持っておりまして。
この春、札幌芸術の森で開催された「絵画と写真の交錯 印象派誕生の軌跡」も、仕事の合間にしっかりチェックしていたわけですが、今回の葉山のほうはサブタイトルにあるように明治期以降の写真技術の発展が絵画に与えた影響について、多くのサンプルを用意して考察するという企画。

会場をまわって感じたことは、当時の写真家・写真師たちは光学や薬学などの相当の知識が必要とされたのではなかったか、ということ。
カメラ草創期ということもあり、撮影機械もさることながら印画紙や定着液など、次から次へと新しいものが登場してきた時代。
撮影技術とかカメラワークはある程度経験の産物ともいえるが、薬品の知識は勉強しつづけなければ追いついていけない。
おそらくは科学者と同じように、生涯、更新されつづける情報と格闘していたんでしょうね。
一方で、そうした困難をものにしながら、たんなる記録写真ではあきたらず、アートを模索する写真家も現れてきたり。
どんなジャンルでも、変動期って、緊張感もあり刺激的ですなー。

さて、今回葉山へ来たのにはもうひとつ目的がありました。
裕次郎が大好きだったという、1個70円の葉山コロッケ?
いやいや、冒頭写真の場所を見たかったんです。
葉山分館の敷地左横に通っている海に向かう長い小さな道。
なんだか、どこかで出会ったような、なつかしい感じがしませんか?
ダラダラと浜辺へ向かって下ってゆくと、湘南の海が目の前に。
左右の砂浜にはもうよしず張りの海の家が営業中。
左手には御用邸の磯が広がっている。
ナイス・ロケーション!
冬もいいかも。

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7 14, 2009

一品制作か、大量生産か

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3年ほど前に黒川紀章の設計で六本木にできた国立新美術館。
ご近所だったのですが、どーもピカピカした新しい建築物や新名所的なものを苦手とする旧弊なキャラが災いしてか、いままで足を踏み入れたこともなく。
ただ今回は、あのラリックがたくさん見られる、ということでブラブラ行ってまいりました。

ルネ・ラリック。
やはり、天才ですね。
アクセサリーやガラス工芸の類いに興味のないかた(とくに中年男性)は、ほんと、まったく足が向かない企画とは承知しておりますが、ま、いちど1900年のパリ万博あたりに活躍したクラフトマンの力量を見てあげてください。
わが国でも琳派などの職人の手仕事はすばらしいものですが、ラリックはすべての作品に「ラリックらしさ」を残している。
小さな宝飾品や香水瓶、大きな花瓶や室内装飾用のオーナメントにいたるまで、素材や形状など一定の枠組みにとらわれることなく自由奔放。
そして、どこかにギリシャ彫刻やルネッサンス絵画のかけらが見て取れる、というような。
想像するに、次から次へアイデアが湧きあがっていたとしか思えない。
仕事するのが楽しかったんだろーなー。

一方で、作品を年代順に展示された会場を歩いていると、折からの工業化社会へシフトしてゆく時代の潮流にあわせ、それまでの1点ものの制作から、大量生産できる作品へとシフトしてゆく歴史の流れも見てとれる。
型にガラスを流し込み、同じものをたくさん作って1点ものよりはるかに安い価格で提供する。
それはそれで「アートの大衆化」というプラスの側面をもっているとは思うのだが、同時に失ったものも大きい。
たとえば、この時代、欧米各国では飛行機メーカー、オートバイメーカー・自動車メーカーなどが何百社と乱立し、それぞれ思いつくままにユニークな、どこか人間くさい製品を作っていたのだが、100年経過してみれば結果的に世界的な規模をもつ数社に集約され、そこから提供される製品はほとんど似たようなものばかり。
自動車産業は男らしさを失った(魅力的なクルマを作れなくなった)、とカッコいい言葉を吐いてデロリアンがGMから飛びだしたのが1975年だが、それ以降も工業化の波はおさまらない。
そして、いまやインドのタタが20万円で自動車を売る時代。
家を建てようと思えば、数ある分厚いカタログからパーツを選んで組み合わせるだけで完成してしまう時代。
モノを作る喜び・所有する喜びは、悲しいかな、20世紀前半で地球上から消滅してしまったのか。
そんなことも副産物として考えさせてくれる構成でした。

ラリックといえば数年前、箱根仙石原にラリック美術館が誕生。
個人美術館としてはコレクション数はなかなかだが、国立新美術館の企画展はやはり「国立」。
カバーしている領域が広く、箱根で感激した以上の驚きがある。
さらにびっくりしたのは、展示作品の多くが日本人の「個人蔵」とだったこと。
白金にある旧朝香宮邸(現東京都庭園美術館)はラリック展示場と化しているし、日本人にラリック好きが多いことは知られているが、これほど数多くの愛好家が散在しているとは。

ま、もっとも、これも工業化のおかげかも知れませんね。

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7 10, 2009

ただただ撮り続けることの価値

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九州生まれのひとりの写真家が若き日から北海道の風景と生活を小さなカメラで撮りためてきた。
「森山大道写真展 北海道<序章>」。
札幌宮の森美術館。

決定的瞬間を鋭く切り取りました、とか、
撮影対象との親密な関係性を構築しながら、とか、
社会に対する告発や主張などとは
およそ無縁な地点に立つ、
なんていうこともないモノクローム風景写真。

ときとして画面は水平を欠き、
シャッターは焦点が結ばれることなく切られ、
小さなフィルムサイズゆえに荒い粒子ばかりが目立つ。
ノーファインダー撮影、
あるいはノーファインダー的構図。
意図がない。
企画がない。
ただひたすらカラダが反応するモノに向かってシャッターが押される。

映画なら「ロードームービー」といったところか。

しかし、そんな写真があるまとまったボリュームで見る者の前に立ち現れるとき、がぜん思索家の日記や書簡集のような「深み」を見せつけることになる。

「バスに乗り列車に乗って北海道のあちこちを写し歩いた。
まれに一泊になることもあったが、
ほぼ連夜、重い足を引きずってアパートに辿り着き、
寒い部屋でひとり食パンをかじりウィスキーをなめ、
また得体の知れない憂鬱にとりつかれて長い夜を苛々と過ごしていた」

まだ清里化する以前の小樽のうす汚れた運河や
直立した固い背もたれをもつ国鉄車内風景など、
なぜか戦前の風景のようにも見えてしまうが、
78年以降に撮りためたものと知れば、
この30年間に私たちの周囲に起きた変化は
想像以上に激しかったのでは、と思わざるを得ない。

この写真展は日程と展示写真構成を変えながら
道内5か所(アルテピアッツア美唄など)で開催される。
冒頭の写真は宮の森美術館前で森山大道風にカメラを傾けて撮影したものだが、うまく撮ろうなんて下心がある分、やはり写真家のようにはいかないよネ。

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5 11, 2009

木は人を4回あたためてくれる

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日本民藝館。
渋谷から井の頭線で二つ目、駒場東大前駅で降り、都心の近くにこんなにもしっとりとした住宅街があったのかと驚きつつもあたりの空気を楽しみながら歩くこと5分。
どこか懐かしい雰囲気を漂わせる建物が現れる。

いまは「特別展 棟方志功 -倭絵(やまとえ)と書の世界-」という企画で展示を行っているが、本日ご紹介したいのはその建物玄関。
写真の中央をみてくださいね。
両開き式の引き戸の取っ手部分が訪れる多くの人の指先によって木の地肌が現れて、白っぽくなっている。
ま、古いお寺なんかでもこんな症状になっているところを見かけますが、なんだかとっても落ち着くんですな、これが。
生活している息遣い、っていうか。
歳月の証し、っていうか。
ステンレスやガラス製の扉じゃ、こうはいかない。

「木は3回あたためてくれる」っていう出来すぎたハナシをご存知でしょうか。
たしか、1回目は木を伐るとき。
2回目は斧をふって薪にするとき。
3回目はその薪を暖炉にくべたとき。

でも、「木は人を4回あたためてくれる」っていう風にヴァリエーションも作れそうですね。
自然素材のチカラは、あなどれません。

本日のブログはこれだけ。
「最近チョット文章が長いんじゃない」というご意見に対応したつもりですが、こんどは短すぎ?

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4 26, 2009

後期高齢者だって負けてはいない

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クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ Gran Torino」。
いい映画でした(シミジミ)。
ちなみにグラン・トリノとは1982年頃フォード社から発売された2ドアクーペ車の名前。

最近はCGに過剰依存しているハリウッド・スペクタクルばかり見せつけられているせいでしょうか、素直な映像になんだかホッとしました。
とはいえ、78歳のイーストウッドはまさしく年老いたハリー・キャラハン(映画「ダーティ・ハリー」のキャラハン刑事)でありました。
放送禁止用語を連発する頑迷な年寄り。
四六時中タバコを離さず、ビールを鯨飲しながら、喀血を繰り返す孤独な老人。
キャラハンの末路かくあらん、といった感じで。

戦争体験後遺症、アメリカ自動車産業の衰退、人種差別、コミュニティの崩壊など、ちいさなトゲがそこここに用意されてはいるものの、終わってみれば「老い」とか「生と死」という大きなテーマがその背景に浮かんでいたような。

老人ものと言えば、むかしハヤカワ・ミステリ文庫で「オールド・ディック The Old Dick」(1983年)という笑えるんだが少し哀しい探偵ものがありました。
L・A・モースという人が書いた小説なんですが、ひさしぶりに本棚の奥から引っ張り出してパラパラ見てみたら、主人公の探偵ジェイク・スパナーは、なんと現在のイーストウッドと同じ78歳の設定。
ドクター渡辺淳一には負けるかも知れないが、若い女とのベッド・シーンまで用意されている。

イーストウッドは、この映画を境に俳優としての出演はやめるが、監督業はこれからも続けるんだそうである。
(「ミスティック・リバー」なんかもどこかヨーロッパ映画の匂いがする素晴らしい映画でした)
当方の周囲にはハッピー・リタイアメント後は月イチ・ゴルフが唯一のたのしみとおっしゃる諸兄もたくさんおられるが、舞台を降りるのはまだ早い。
まずは「グラン・トリノ」でもご覧になって、気合を入れて・・・。
なに、オレは渡辺淳一路線でガンバってみる?
まぁ、それはそれでお好きなように。

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4 23, 2009

センダンハフタバヨリカンバシ、と言うが

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この秋、ハリウッド版鉄腕アトム「Astro Boy」が公開されるとか、
なにかと手塚治虫の話題がにぎやかになってきたと思ったら、
「手塚治虫展」を東京江戸博物館でやっているというので、久しぶりに両国へ。

う~む、やはりスゴい人でございました。
といっても混雑の話ではなく、この漫画家の巨人ぶり。
たとえば、わざわざ手塚治の本名に「虫」を加えたくらい昆虫が好きだった中学時代に描きとめた「昆虫手帳」なる1冊の小さなメモ帳。
精緻に模写された昆虫の学術的スケッチがビッシリ。
その対向ページには、おそらくは特徴や分類と思われる小さな文字の注釈が整然と並んでいる。
ピカソが14歳のときに描いたといわれる「初聖体拝領」などの写実画を見せられたとき、絵の成熟ぶりに感嘆するというより、「歴史に名を残す人って子供の頃からゼンゼン違うんやなー」と、むしろ天才の成り立ち方かたに感じるものがあったのですが。
この人もフツーの少年ではなかった。
栴檀は双葉より芳ばし。

会場では主要な作品の原画と解説が並列的に展示され、それを横に串刺しにして、この作家が生涯をかけてどんなメッセージを読者に伝えたかったのかを感じさせる構成。
中学生のときに体験した戦争への想いや医学生だったときの経験などを通して「生きること」の重みを一貫して作品化したその仕事ぶりは、伝道者や文学者に通づるものがあるなー、と感じた次第。

ところで冒頭の写真は、なにを隠そう、当方が中学生時代に受け取った先生からの年賀状3枚。
消印は昭和34年宝塚、35年初台、36年石神井とあり、先生が31歳でご結婚された頃か。
当時、少年雑誌のマンガ掲載ページ末尾にはたいてい「先生に励ましのお便りをだそう」という編集部コメントが付記されており、中学生だった当方もコドモなりに考えるところがあったんでしょーなー。
年賀状と一緒に写っているのは、会場出口の売店で見つけた「ヒョウタンツギ」の根付けストラップ。
手塚マンガに常連のこの愛すべき脇役を、授業中教科書の隅っこにせっせとイタズラ描きしたもんですが。
しかしながら、当時手塚作品のドレに熱中していたかも思い出せないし、ヒョウタンツギを描くぐらいしかなかったパッとしない当方の少年時代を考えれば、現在の私がその延長線上でウロウロしているのも不思議ではないような気がしております。

まぁ、広い自然界には桂の葉のように落葉してから芳香を放つという、終盤活躍型?の樹もあるというのが、せいぜいの慰めですかねー。

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3 22, 2009

日本にもこんな人がいると思うと誇らしい

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いやぁ、すごい人が現れたもんですなー。
むかし流行ったサントリーのキャッチフレーズ風に言わせていただけるなら、「こんな男、ちょっといない」。
といっても、いきなり登場したんじゃなくて、ここ十年でなんだか大化けの様相なんですな。
その人の名、「杉本博司」。

当方のブログにこの人の名前がはじめてお目見えしたのは、5年ほど前。
そのときは月刊誌に写真と記事を提供しているカメラマン、という程度の認識でしかなく。
が、その文章たるや荒俣宏や中沢新一を彷彿とさせる該博ぶりで驚かされた記憶あり。
その後、2005年11月には六本木ヒルズで見た「杉本博司 時間の終わり」展を紹介しておりますが、写真家杉本博司という認識からインスタレーションなどもやっちゃうアーティスト杉本博司へ、という風に若干の軌道修正。

そして、今回。
金沢21世紀美術館で行われた「杉本博司 歴史の歴史」展。
去年の11月から開催されていたのですが、当方も仕掛かり中の仕事の最後の追いこみとあって、身動きがとれず。
ようやく金沢へ飛ぶことができたのがこの美術展終了間際の2日前(本日3月22日で終了)というタイトロープ。
日頃のおこないが良かったせいか、なんとかすべりこむことができました。

ここで見せてくれた杉本博司の顔は能舞台や護王神社を作ってしまう現代作家ではなく、蒐集家としての顔、そしてそのコレクションと自分の写真とをからませてメッセージを送る、世界中どこを探しても見当たらないコンセプト・メーカー&アート・プロデューサーとしての顔であった。
(こう書いて、ほかに思いつくのはランド・アートでびっくりさせてくれるクリスト夫妻ぐらいしかいない)
しかも、そのコレクションのレベルはおそらくは海外のオークションや京都あたりの古美術商から仕入れたと思われる一級品、というより国際的にも価値の抜き出たものばかり。
さらに、カバーするジャンルたるやその頭脳に展開される世界観そのままに、幅広い、というか、広すぎる。
当方のような凡庸な市民生活者には圧倒されるばかりであった。
たとえばジュラ紀の化石や隕石があると思えば、閣僚全員のサイン入りルーズベルト内閣写真。
明恵の書簡を掛け軸にしたものがあると思えば、昭和天皇など近代史を飾るお歴々が表紙に登場する第二次世界大戦前後のTIME誌54点一気並べ、といった具合。

冒頭の写真は、彼の世界的評価を定めた「海景 Sea Scapes」のうちの9点が円形の部屋に展示されているところだが、そのスペース中央には平安時代のやすらかな十一面観音立像が無言のうちに立っている、といった按配。
「写真」「絵画」「骨董」「建築」「時間」「物理」「宗教」が杉本流に整理され、あるいは関連づけられ、見終わった頃にはただただ杉本博司その人の脳内容量のでかさに感服し、脱帽している自分がいたわけで。
恐れいりました。

じつはちょうど1週間前の3月14日、御成門にある東京美術倶楽部の「アートフェア」をちょっと覗いたとき、この人が濃紺のフラノジャケット、ジーンズ、デッキシューズという、けっして気難しいゲージュツ家風ではなく、フツーのオジサン風いでたちで、フットワークも軽く展示作品を見てまわっているのを発見。
ちゃんと勉強も欠かしていないんです(と、勝手に想像)。

21世紀美術館ですっかり骨抜きになったあとは、片町にある寿司「小松弥助」で生気補給。
こちらも相変わらず、というか、まごうことなき日本一ぶり、でありました。
「生きててよかった」というセリフは、やはりこの店のためにあった(断言)。

さて「歴史の歴史」展、さんざん持ちあげておいて、もう終わちまった、はナイだろう、と憤慨されているあなたへ。
4月中旬から6月初旬まで大阪中の島にある国立国際美術館で巡回展が予定されている。
この春、関西出張や京都・奈良への旅行計画をお持ちのかたは、ナニワの空の下で頭を一撃されてくるのも、よろしおまっせ。


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2 03, 2009

遠藤周作「沈黙」が映画になる

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今朝、いつものようにYahoo!でニュースの見出しを斜め読みしていたら、「遠藤周作「沈黙」、米で映画化」の文字。
ついでにマーティン・スコセッシ監督の笑顔の写真も目に飛び込んでくる。
果報は寝て待て。
うわさは本当でありました。

撮影開始は2009年後半とのことで、実際映画が公開されるのはずっと先になるだろうが、このストーリーからすれば製作費が足りなくなって行き詰る可能性はほとんどないので、目の黒いうちに日本の映画館でも観ることができそうだ。

読書家とはいえない私でも「沈黙」のすごさは分かります。
ポルトガルのイエズス会がアジア布教の基地であったマカオから日本に向けて司祭セバスチャン・ロドリゴを派遣する。
しかし、秀吉から始まった基督教締め出しは徳川時代には迫害の様相を呈するようになる。
改宗を拒み、拷問の果てに死に追いやられる日本人信徒たち。
その現場に立ち会いながら、傍観するしかなかった司祭が神へ問う。
「あなたはなぜ黙っているのです。この時でも黙っているのですか」。

写真に映っているもう一冊の本はアルフォンス・デーケン「よく生き、よく笑い、よき死と出会う」(新潮社)。
著者は上智大学においてながく死生学を教えられてきたドイツ人だが、父親が反ナチ運動に加わっていたという環境のなかで、12歳のとき殉教した長崎の二十六人聖人殉教者の伝記を読み、とくにルドヴィコ茨木に感銘を受ける。
その後、青年になってイエズス会に入るが、ルドヴィコ茨木の生きかたがその後のアルフォンス・デーケンをカタチづくる。
フランシスコ・ザビエル(イエズス会)日本到来から数えて500年近く。
自分の一生を信仰に捧げる人たちの歴史的連続性に驚かされずにはいられない。
(ところで、デーケン先生はお元気でいらっしゃるだろうか)

映画撮影はニュージーランドで行われる、という。
配信された記事をよく読むと、「アメリカ版「沈黙」を作る」となっていることから、舞台設定は日本ではないかも知れぬ。
司祭を演じる役者の力量も分からない。
しかし、宗教の深淵に触れんとする難しい作品を映画化しようというマーティン・スコセッシの問題意識と姿勢は、すでに十分に評価されていいものと思う。
もちろん、原作となった「沈黙」の、時代を超え、国境を越える偉大さが前提にあっての話ではあるのだが。
期待しよう。

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1 30, 2009

まわりから手仕事が消えてゆく

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昨年来、パナソニック汐留ミュージアムをはじめとして「アーツ&クラフツ」関連の催しが各所で散見され、気になっておりましたが、これが真打?
上野の東京都美術館「生活と芸術―アーツ&クラフツ展」。

会場入口の最初の説明文を読んで、おどろきました。
「1840年頃、英国では工業生産と無規制な商業がもたらす深刻な弊害が認識され、政府はデザイン政策を講じて品質の向上を図ろうとした」。
目を疑ったのは、後段「政府はデザイン政策を云々」のくだり。
こんな時代からイギリスでは政治家や役人が「デザイン」に価値を認めていたんですね。
ひるがえって、わが国では首相がアニメ・マンガ好きというひさかたぶりの「文化理解型」の登場でなんらかの変化もと期待されはしたのだが、ご存知のようにとてもそれどころじゃなく。
小説家でもあり美術愛好者でもあったアンドレ・マルローが、ド・ゴール政権下で文化相を務め、美術交流を深めたようなことは、この国ではまだ100年早いってことでしょうか。

と、嘆いてばかりはいられない。
アーツ&クラフツは、上記のように産業革命以降労働する喜びが失われてきたことに対して、ウィリアム・モリス(William Morris 1834年~1896年)などが「理想とする労働と休暇、芸術と生活の完璧な均衡」を目指し、手仕事やクラフトマンシップの価値を高めていったムーヴメント。
そして、この運動がイギリスを起点としてフランス、ドイツ、オーストリア、そしてはるか日本まで理解者を獲得してゆく。
その過程を実際の作品を見ながら概観しようというのが、この展覧会なんですね。
会場には花や植物、鳥など自然をモチーフとしたテキスタイル、壁紙、食器、椅子やクロゼットなどの家具、ステンドグラス、タピストリーなどが展示され、当時の部屋もそれらしく再現されている。

日本の作品を紹介するコーナーは柳宗悦、河井寛次郎、黒田辰秋、濱田庄司、芹沢銈介、棟方志功、バーナード・リーチなどおなじみの面々がその主役で、全般的には駒場の日本民藝館にあるような品々が集められておりました。
そういうものを横目で見ながら歩いていて、ふと思い出されたのが、旧岩崎庭園洋館(ジョサイア・コンドル作 1896年竣工)の厚い和紙で作られた壁紙(金唐革紙)。
おそらくはアーツ&クラフツの影響ありと思わせるできばえで、明治の時代には生活のさまざまな場面にそのチカラが及んでいたのではないか、と推測されるのだが。
宮澤賢治(1896年~1933年)も、モリスの著書「民衆の芸術」に呼応して「農民芸術概論」を書いたと聞く。

そういえば、フランク・ロイド・ライト(1867年~1959年)がデザインした椅子(旧帝国ホテル用など)や電気スタンドなども、自然界からヒントを得て作ったものだが、今回の展覧会ではオーストリアのコーナーでそれとかなり近しい、というか親戚関係にあるような作品も発見。

アーツ&クラフツ運動当時よりさらに進んで、いまや工業製品や大量生産品に完全包囲され、家のなかを見回しても手作りと言えるものがなくなってしまったのが、いま私たちが生きている時代の様相(手作りの料理が恋しい)。
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」の時代まで、あと一歩か。
言っとくけど、そんな未来なら、オレは行きたかぁないゾ。

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1 26, 2009

旅という言葉には魔力があると思いませんか

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いつも思うんですが、砧公園近くにお住まいの方はご自宅に庭が不要なのでは。
あれだけ気持ちのいい広大な庭園を毎日ひとりじめ、とはゆかないまでもわが庭とすることができるんですから。
うらやましいかぎり。

その砧公園敷地内にある世田谷美術館で「十二の旅」と銘うたれた展覧会をやっているというので行ってまいりました。
「旅」をテーマに12人のイギリス人作家の作品を集めた、という趣向をこらした、というか変わった企画でして。
そのためか、「フェルメール」のように長蛇の列も、人さまの足を踏んづけてしまうようなこともなく、わが足音だけが天井にこだまするような、それこそ作品をひとりじめできる環境でぜいたくな時間を過ごしてまいりました。
うーん、こうでなくっちゃ(仏像も、建築も、絵も、ひとり静かに見るに限る!)。

もっともターナー(J.Tuner 1775年生まれ)見たさで行ったのですが、この人の展示作品はほとんどがエッチング。
あのターナーの油彩の空・雲・海をじっくり味わいたかったのにー。
でも、収穫もたくさんありました。
まず、チャールズ・ワーグマン(Charles Wirgman 1932年生まれ)という人が描いた幕末の日本。
「イラストレイティッド・ロンドン・ニューズ」特派員として来日した人で、もともと画家ではなかったようですが、茶屋や人夫が見える街道筋や宿場町を油絵でものにしている。
絵具を豊富に持ってきたんでしょーな、色彩も鮮やか。
で、この人、洋画がまだ目新しかった当時の美術生に油彩技術を教えていて、例の「新巻鮭」を描いた高橋由一もその影響を受けたひとりだったとか。
たしかに、高橋由一の「鮭」に通ずるこってりとした筆遣い。
ほかに、コンスターブル(John Constable)、デヴィッド・ホックニー(David Hocney)、彫刻の世界からヘンリー・ムーア(Henry Moore)、陶芸界からバーナード・リーチ(Bernard Leach)などの作家が紹介されている。

現代美術に属するボイル・ファミリー(Boyle)という4人家族(父・母・息子・娘)の作品には笑えた。
なんでも、世界地図を広げてダーツを投げるんだそうである。
地図上のある1点が決まると、その場所まで家族で行って、現地の地表の姿を確認し、それを180cm四方の枠内に原寸大で再現する、という凡人には思いつかないような着想&実行力がスゴイ。
(ふだんどんな暮らしをしているのか知らないけど、こういう人たちと酒飲むと面白いだろーナー)
4点飾られていたが、そのうちの1点は、広島市内の舗道と車路の縁石部分。
コンクリートと鉄でできたマンホールが、なんだか落っこちてきそうでこわい感じだが、「なんかワルイか」と言わんばかりの不撓不屈さが、アフリカの太鼓のように響いてくるのでありました。

「旅」といってもこの程度の「旅」なんですが、人寄せパンダのような目玉なしでこうした興味深い展覧会を企画された学芸員のかたに、ザブトン一枚だなー。

ところで、「旅」といえば本のほうでは沢木耕太郎「旅する力」が売れているみたいで。
でも、人生を振り返るのはまだ早いような気がしますよ、沢木さん。


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