2012/05/17

北国にリラの花が咲くころ

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5月17日の札幌大通り公園。
昨日の冷たい雨に代わって、温かく気持ちのいい青空がひろがり、公園にもベンチでのんびりする人たち、家族連れで賑わっておりました。
桜が終わったこの季節、花はライラック。
大きくならない木で、手でつかまればポキッと折れてしまいそうな弱々しい幹がですが、白からピンク、紫がまじった花の房をつけてくれます。
フランス語ではリラと言うそうで、パリにはヘミングウェイが通った「ラ・クロズリー・ド・リラ」という名のカフェもありますが、日本では両方通用しているようで。
公園にある石碑には吉井勇のこんな歌が刻まれておりました。

家ごとに リラの花さき札幌の 人は楽しく生きてあるらし
 
ちょっと観光協会っぽいところが惜しまれるところですが、たしかに東京では春だろうが夏だろうが公園でのんびりビールを飲んだりやとうもろこしを食べたり、は白い目で見られがちですが、この地ではそんなおとがめはいっさいなし。
司馬遼太郎も書いているように北海道人はなぜか大陸的な大きさがあるようで。

いまでは「さっぽろライラックまつり」なんかも54回目を数えたようですが、もともと北海道の地に野生していた木ではないことを以前教えてもらったことがあります。
明治中期、サラ・クララ・スミスというアメリカ・ニューヨーク州からやってきた宣教師・教師が持ってきたものとか。
「少年よ大志を抱け」のクラーク博士はじめ、明治以降の北海道開拓期にはこうした米国を中心とした外国人が自国から持ち込んでくれた技術・農機具・種苗などが、何の知識もない開拓移民(当方の先祖)や屯田兵の生活基盤を作るのに役立ったというわけで。
恩を忘れてはいけませんね。

ついでに外国人のことで思い出しました。
ジョン・バチェラー(John Batchelor)というイギリス人ですが、こちらは明治後期の宣教師。
この人はアイヌ文化に深い尊敬の念を持ち、学校や医療施設、アイヌ語の言葉や民俗学的研究に一生を捧げた人物(もちろん、一方では批判する人もおります)。
第二次世界大戦がはじまり、帰国させられるという不運に見舞われましたが、こういう人たちの生涯を思うにつけわが人生のいい加減さを噛みしめる次第。


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2012/05/13

作家の秘密の部屋を覗いてみる

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千葉県の人里離れた山のなかにas it isという小さな個人ギャラリーがあります。
(オーナーは目白に店を構える「古美術坂田」のご主人坂田和實)
この建物の設計が中村好文によるものだということを知って、行ってみたのが昨年夏。
それにしても房総内陸部の道は世田谷以上に分かりにくいのがツライところで。
クルマにナビをつけて良かった、としみじみできるエリアの筆頭か。

このギャラリーでG.W.から始まった企画展があります。
「as it is 個人コレクション展7 前川秀樹の部屋」。
以前、当ブログでご紹介したことがある彫刻家の個人コレクション展。
といっても、本人の近作が展示されているわけではありません。
昨年の企画展もそうだったのですが、作家に普段の生活で使っているものや蒐集したものを並べてもらい、その嗜好や思考の手がかりを探ろうという社会学的アプローチ。
(ちなみに昨年夏は陶芸作家内田鋼一のコレクション展)
たとえば写真展なんかでも、映像作品だけはなく、どんなカメラを使用していたのか、どんな靴を履いて撮影していたのか、どんな本を読んでいたのか、そのフォトグラファーの全体像に肉迫したい、つまらないようなことでも知っておきたい、と感じるような瞬間があります(愛の変形)。
こういう中心軸からちょっと外れた興味はふつうの美術館の学芸員からすれば企画しにくい側面もあるでしょうね。
それだけに、うれしい企画。

いつもクルマに捕虫網を積んでいるほどの昆虫好きであることを本人から伺ったこともあるので、スカラベの標本や小鳥の剥製は想像したとおりでしたが、遠い昔、18世紀のヨーロッパ人が新大陸からもたらされた動植物に関して熱狂ともいえるエネルギーを費やし「博物学」を発展させたその空気が陳列物のあいだに漂っているような。

写真は大きな正方形の台座にぎっしりと並べられた骨・角・貝・小石・人形の腕や手・漂着物・・・。
中2階から見下ろすとまるで1枚の「屍骸博覧会」といった様相。
そのほとんどが陽光に晒され色素を奪われた乳白色で、それぞれに活躍したであろう前世を思い起こさせる要素は微塵もなく。
ただただアラビアの砂漠のような空虚な清潔感と乾いた美しさだけが際立っておりました。

当方、たまに山の裾野で焚き火をすることがあるのですが、翌朝起きてみると焚き火をした場所に見えるのは白い灰のみ。
まだ水分が残った太い幹とて高熱にさらされ完全に燃焼すると、パウダーシュガーごとき純白の灰になってしまう。
「死」を連想しないわけにはゆかない情景。
それに似たものを感じました。

もひとつだけ。
「滴下」と題されたインスタレーション。
説明では「茨城県某所の湧水の玉」とあるように、ほんものの水滴。
ためしにその小さな丸い玉に息をそっと吹きかけるとユラッと揺れる。
作家が「びっくりしたでしょ」と笑っている顔が見えるような。
こちらの作品は「生」そのものでした。

喧騒から遠く遠く離れた場所。
この国の風土にあった一軒家のたたずまい。
死と生。
ギャラリー全体が一個の作品でした。

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2012/04/26

この人が考えていることを考えるために

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以前同じ会社で机を並べていた女性がマイナー映画の助監督やテレビ番組製作に駆け回り、そしていつの間にか監督として作品を発表するようになり。
ここに至るまでも茨の道だったとは思いますが、はたから見ても根っからの映画探求者。
Dreams come true、ですね。

映画「はじまりの記憶」。
杉本博司の創作思考や原点を追ったドキュメンタリー。
監督中村佑子。
渋谷の青山学院そばのシアター・イメージフォーラムという小さな劇場でやっています。
(写真はその映画館の60席余の親密な空間、フォーカスを思い切り外しました)

もともと杉本博司という得体の知れない芸術家に強く惹きつけられ、金沢の21世紀美術館や六本木のアーツギャラリーなどへ連れ出された当方としては、この映画を素通りするわけにはゆかない。
ただ朝11時と夜9時からの2コマ上映しかなく、ずっと行きそびれていたのですが、本日やっと。

写真家と思っていたら、神社の修復を任せられたり。
立体のアートを作っていると思えば、隕石やら古美術のコレクションを見せられたり。
ニューヨークに7人のスタッフが働く事務所を構え、日本を行き来する。
クリスティーズのオークションでは1億以上で落札される。
本読みで、該博、おまけに文章の腕もたつ。
料理も作る、書もよくする。
若いときにアメリカで日本の骨董を売っていた経験も大いに影響している。
歴史を知っている。
資本主義の行く末を憂える。
原始のスープが漂う太古の地球に思いをはせる(映画タイトルの起点)。
おおよそその思考は四方八方が広がって、一点に居つくことがない。
それでいてフツーのオジサン風。

いったい、この人、どういう発想の人なんだろー。
・・・・・と、思いません?
この映画ではその頭の中を垣間見ることができたような気がしました。

以前、フランク・ゲーリーという建築家(スペイン・ビルバオのグーゲンハイム美術館など)のドキュメンタリー映画を文化村で観たことがありますが、こちらはある面分かりやすい人でありまして。
それに比べて、杉本博司は守備範囲が広すぎる。
ドキュメンタリーを作るにしても、どこから手をつけていいやら、難しかったのではと思わざるを得ないが、それでもこの映画を通して、ちょっと距離を縮めることができました。

国境を超え、時代を超える人。

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2012/03/29

春の光はなによりのビタミン剤

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青空の日が続き、気温もちょっと上ってくると、ヨシ外出してみるか、とカラダが自然に動き出すのは昆虫も人間も同じでして。
2日間で3つの展覧会をハシゴしてまいりました。

上野の国立西洋美術館「ユベール・ロベール」。
銀座のメゾン・エルメス「山口晃展」。
六本木の新国立美術館「セザンヌ」。

ユーベル・ロベールは「廃墟のロベール」というニックネームを与えられた18世紀のフランスの画家。
じつは以前読んだ本のなかに「自分たちの文明を廃墟という未来形で表現した作家」とかなんとか評されていた記憶があり、その作品群にはなにか哲学的な意味合いもあるのでは、な~んて淡く期待もしたりしていたのですが。
やはり。
当方の思い込みはパーフェクトにハズれておりました(毎度のことながら)。
この人は崩れ落ちたギリシャ神殿や苔むした大理石の建築物などを自分の作品を構成する格好の素材として選んでいるだけなんですね。
これなら映画「猿の惑星」のほうがメッセージ性でははるかに。
・・・・と、勝手に思ってしまったわけですが、諸兄のご判断は。

山口晃展。
作品数は3つ、と小ぶりですが、この人の気の遠くなるような緻密な作業とユニークなアイデアには敬服しないわけにはいきません。
「正しい、しかし間違えている」と題された小部屋は床面が12.5度傾いたカラクリ屋敷状の作品で、部屋に入ったとたん、めまいというか軽い吐き気というか、三半規管を変調させる仕掛けになっていて、「平面」だけではない山口晃を見せてくれます。
(しかし、現代アートのお題はなぜこうも難解なんでしょう。「ないのに、ある。あるのに、ない」風の禅問答みたいなものばかりで気になりますが、これはこれで考えるのタイヘンなんでしょーねー)

最後はセザンヌ。
印象派はもうおなかいっぱい、というかたも大勢いらっしゃるし、ご推察どおり新鮮味はありません。
しかし、肖像、静物コーナーは、やはり見ておくべきレベルのもの(なかなかこんなにいっぺんに一箇所では見られません)。
とくに、リンゴの絵。
以前、当ブログでご紹介したこともあるDavid Hockney著「Secret Knowledge」は、カメラなど光学器械の発達が絵画にどんな影響をもたらしてきたかを画家自身が探求した書物ですが、そのなかでホックニーはカラヴァッジョが描いた果物の絵とセザンヌが描いたリンゴの絵を見開きで左右のページにレイアウトし、こう読者に促しています。

「さて、ページを開いたまま、本を少し離してどこかに立てかけてみてください。本から離れれれば離れるほどにカラヴァッジョの林檎は見えにくく、読み取りにくくなる。セザンヌの絵はこれと対照的に、よりに強烈に、より明快になってゆく。・・・・・原因は何か。レンズを透した一つの目(単眼)の視線と、二つの目(双眼)の違いである。」

ホックニーは、カラヴァッジョが光学器械を利用しながら極めて正確に描写しているのに対し、セザンヌは自分のふたつの目を通して作品を創っている、その違いだ、と。

たしかに、会場でやや離れた位置から見ても、あるいは目を細めて見ても、リンゴはちゃーんと存在感を主張している。
秘かなるカラヴァッジョ・ファンとしてはやや複雑な思いも抱きつつ、セザンヌのリンゴに脱帽せざるを得ない、あるいは再発見させられた六本木のひとときでありました。

それにしても、あと3日で4月というのに、こぶしの花さえまだつぼみ。
どこへ行ったか、「温暖化」&「アラブの春」。

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2012/03/18

ボヘミアンたちの巣窟健在なり

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数年前、新宿は花園神社の裏手から駅へ向かって歩いていたときこのこと。
地方から出張中とおぼしきサラリーマン二人組から声をかけられまして。
「デラックス街って、どっちですか?」
はて、デラックス街ねー、このへんでは聞かない名前だが。
しかし、どこかなつかしい響きがしないでもなく・・・。
「あっ」。
「それって、もしかして・・・・ゴールデン街のことじゃない?」。
二人組は顔を見あわせ、「あー、そーかなー、そーかも・・・・・」。

たしかに「デラックス」と「ゴールデン」は異母兄弟みたいなところがあって、間違えちゃうのも仕方がないか。
でも、どちらの語感からも、一時代前の匂いが漂ってくるのは隠しようがなく。

そんなゴールデン街ですが、若いときにずいぶんお世話になりました。
もともと都電(市電)の車庫だった広い空地に2~3坪の小さな飲み屋がびっしり建っていて、細い路地を迷いながら(似たようなお店ばかりが連なっているので)お店にたどりつくと、なんだか実家に帰ったような居心地のよさがあり。
店が狭すぎるとか、椅子が壊れてるとか、壁が黄ばんでるとか、そんなことは気にしちゃいけない。
酔いつぶれてカウンターで寝てるヤツがいてもほったらかし。
口角泡を飛ばして議論しようが誰も文句を言わない。
安い(サントリーやニッカの安酒ばかりだったからなー)。
それに、自分の金で飲んでいるヤツしかいない。
レジや領収証は無縁の世界。

客層は文化人・芸術家くずれやら、その卵やら、なれの果てやら。
そして、会社員ふくめ規格通りの世界に馴染めぬボヘミアンたち、「オレはロボットではない」という思いを抱いて肩身の狭い社会を生きている人間たちがようやくたどりつく安住の地。

昨年末、有名店のひとつ「深夜プラスワン」のオーナーだった内藤陳氏が冥土へ旅立たれて、ゴールデン街の「いまどき」がどんな風になっているか気になっていたところ、「久しぶりに行ってみませんか」というドンピシャなお誘い。
四半世紀ぶりに足を踏みいれてまいりました。

新宿区役所前の一等地、再開発の噂は出ては消えのいわくつきの一角ですが、しぶとく生き残っておりましたよ。
昭和の面影も、そこここに健在。
写真は「ヘカテ」っていうお店ですが、お客6~7人でいっぱいになるような狭さで、これがゴールデン街の標準仕様。
夜が更けるにつれ、どこから湧きだしてくるのか狭い店内も客であふれだす。
若いひとも結構多い。
うれしいじゃありませんか。
オマエ、ぜんぜん変わっていないじゃないかー。
でも、当店のママは朝8時 ! にご出勤だそうで、これにはビックリさせられました。
(「銀座」のママとは12時間の時差あり)

ほんの一部にせよ、こういう場所があるからこそ、都市は陰影のある深みを持つ。
ゴミひとつ落ちていないディズニーランドや六本木ヒルズみたいなノッペラボーの風景ばかりだったら、息が詰まってしまいます。

長いほうきで掃き清められた明治神宮の参道と、怪しげなゴールデン街の細い路地。
大都会に見る、光と影の絶妙なバランス。

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2012/02/26

思いもよらぬことを教えてくれるのが最高の旅

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たまたま世田谷区深沢へ行く用事があり、ふらりと入ったハンバーガー屋。
名前は「PALMETTO」という。
チェーン展開のハンバーガーはKUA AINA以外はおいしいと感じたことはないのでいつもはパスしているのだが、ここはチェーンでもなさそうだし・・・・。
やや照明を落とした店内はハワイの田舎の食堂を思いおこさせる佇まい。
はたせるかな、頼んだハンバーガーも期待を裏切られることはなかった。
(ほんとうは太ったオバーサンなんかが作ってくれているとうれしいのだが、キッチンにいたのは若者たち。でも、とびきりの美人がサーブしてくれた)

このお店も「発見」であったが、このお店のモニターに流れていた映像も「発見」であった。
二人の白髪アタマが山小屋で静かに対話している。
ときどきサーフ・シーンやロック・クライミングの映像がインサートされる。
ハンバーガーを食べる手を止めて、よく見ると一人はYVON CHOUINARD(イヴォン・シュイナード)ではないか(写真左側)。
アウトドア用品ブランドPatagoniaをご存知だとは思うが、そこの創立者であり社長。
クライマー、サーファー、フライ・フィッシャーマン・・・・。
世界的にブランドを展開しながら、マネー&カジノ&強欲資本主義に否定的な意見の持ち主。
著書「社員をサーフィンに行かせよう」では地産地消を訴え、西海岸の人間が東海岸からわざわざオマール海老を取り寄せることはない、都会でSUV(大型四駆)を乗る必要はどこにあるのか、と主張したり。

全編を通して観たくなり、翌日DVDのタイトルをお店の人に電話で聞いてみたところ、「180°SOUTH(ワンエイティ・サウス)」とのこと。
さっそく六本木TSUTAYAで探したら、あった。
半ドキュメンタリーのロード・ムービーである。
ショイナードがPatagoniaで成功する以前、友人たちと南米大陸最南端パタゴニアの地へ冒険に出かけた記録映像を下敷きに制作されている。
意地わるい見方をすればPatagoniaのよく出来たブランディング広告ともいえるが、しかし、この映像作品にこめられたメッセージは一企業の枠を完全に超えていて、自然保護に対する現代社会の姿勢をつよく批判するものとなっている。
ショイナードと会話を交わしていたもう一人の年寄り、ダグの述懐。
「私は不必要なものを作り売っていたことに気付かされた」。
キャプションで見ると、DOUG TOMPKINS(ダグ・トンプキンズ)は同じくアウトドア用品ブランドNorth Faceの創立者。
短いけれど、すごいコトバですね。
残念ながらこういうフィロソフィをもった企業家に日本ではめったにお目にかかることがない。
(成功した社長をヨイショばかりしている「カンブリア宮殿」などを見ていると、彼の国とは半世紀程度の文化の「年差」があると思わざるを得ない)

映像と音楽と短い会話が織りなす素朴で力強い構成。
川を渡り、森を抜け、山に担ぎ上げるために、一人でも持ち運べるドーリー(カメラをレールの上に載せて移動させる道具)や軽量クレーンを活用した様子もMaking Filmで紹介されていた。
いい作品にしようというチームの思いが結果に表れているような。

覚えておきたいモノローグがあったので、書き留めました。
「思いもよらぬことを教えてくれるのが、最高の旅なのさ」。

つまり、その旅を何にもまして得がたいものにするためには、思いもよらぬ「事件」があったほうがベター、ということか。
たしかに。
人生において無駄なものは何ひとつない。
たとえそれがネガティブなものであったとしても、ネ。


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2012/02/23

忘れえぬもの

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江東区森下に敬愛すべき骨董屋さんがありました。
一二三(ひふみ)美術店というお店です。
わたしが知ったのは、ちょうど古材を探していた数年前、ネット上でヒットしました。
皿、器、古木。
高価なものはほとんど置いていません。
扱っているのは日常使いでも許されるような、味わいのあるものばかり。
かといってジャンク・レベルはまったくなし。
その選球眼・美意識にこころうたれました。
どうしても気になって、お店を訪ねました。
下町の路地に建つご自宅を改装された小さな小さな店舗でしたが、店主斎藤靖彦氏に応対していただきました。
椅子をすすめられて、かれこれ1時間以上話し込んだでしょうか。
たしか会社勤めのデザイナーをされていたとか。
サラリーマン経験がそうさせたのか、アンティークフェアなどでお見かけする骨董商とはまったく匂いの異なる、知的で儲け話から遠い場所に立っている人物でした。

写真はその後斎藤さんから購入させていただいたウィンザー・チェアです。
18世紀、英国製。
現在の木工製品のように機械(ロクロ)で木を削る技術がまだ十分に発達しておらず、背もたれ部分は1本1本手で丸く整えていて、それぞれにバラツキが残っています。
仕事ぶりの人間臭さ、虫食い跡が残る座面の古材の美しさ、多くの人たちを迎え入れて角が取れたアームのやつれかたに惹かれました。
農家の土間で使われていることが多く、そのために脚先が水分を含んでもろくなって、おそらくは作られたときより1~2センチ短くなっている、とか。
帰りはMINIの後部座席に椅子を押し込みましたが、彼もMINIを検討中とのことで、そこでも立ち話。

その後もたびたびサイトを覗いては素晴らしい商品写真と文章を楽しんでいたのですが、昨年末トップページにこんな文面が。

更新が遅れ大変ご迷惑をおかけしております。
都合により、しばらくの間お休みさせていただきます。
目処がたち次第、再開いたします。

なにか他の事業でも・・・と想像した自分はうかつでした。
2月10日にお亡くなりになられたことが、奥さまによって報告されていたことを最近知りました。
53歳の若さ。

こういう時に言葉を選ぶのは難しいですね。
既成のどんなお悔やみの言葉も、うわべだけ取り繕ったように響いてしまいますから。

ある一人の素晴らしい感性も、その人が亡くなればそこで終わる。
当たり前の事実を、こういう出来事があるたびに思い出し、再確認してゆく。
その果てしない繰り返し。

斎藤さん、ありがとうございました。

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2012/01/24

デジタルは手書きの記録に勝てるだろうか

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今和次郎(こん わじろう)。
あまり知られた名前ではないので、興味のないかたも多いとは思います。
当方はそのむかし、この人の「考現学」という変わったタイトルの文庫本を買った手前、覚えていただけなんですが。
「今和次郎 採集講義」展 (パナソニック電工 汐留ミュージアム)。
展覧会としては、地味。
だけど、よかった。
デジタル社会のスピード感に辟易されているご同輩に、おすすめの一品。

といっても、この人が何者であるか説明しなくてはいけませんが、これはこれで難題。
ま、この展覧会をご覧いただくのがイチバンなのですが、「考古学」に相対する「考現学」というジャンルを勝手にうち立てて、自分が生きている社会の記録をとりまくった人物、とでもいいましょうか。
学者のようでもあり、芸術家のようでもあり。
絵というか、スケッチは、プロなみ。
また、ユーモアやおかしみを解する肩のチカラの抜けたキャラ。
明治21年弘前市生まれ。
働きざかりのときに関東大震災に遭っている。

関東大震災直後、にわかづくりの掘っ立て小屋や仮設住宅が東京のアチコチに建ちはじめたのですが、都市景観を損ねかねない状況に危機感を抱いたのか、今が中心となって「バラック装飾社」という会社を立ち上げている。
そのチラシのコピーがいさぎよい。
「バラックを美しくする仕事一切」。
先のことより、今のこと。
銀座の現伊東屋あたりに「カフェ・キリン」なるキリン系ビヤホールが急造され、その看板も任されている。
建物の左右に大きなキリンが向き合う構図。
なんか人生を楽しんでいる感じなんだなー。

田辺茂一のすすめもあって、新宿の紀伊國屋で「しらべもの展覧会」なるものも開催している。
全部で53点のしらべもの。
たとえば「井の頭公園花見人分布図」。
たとえば「深川猿江町大工サン一室物品調べ」。
「茶碗のワレ方」なんていうの調べている。
ポリシーとかコンセプトとか、生産性とか、ワシラ関係ありません。

この人の弟は、今純三という東北では知られた画家。
会場にも3点ほどモノクロ・エッチングが展示されておりましたが、「奥入瀬渓流」「青森県画譜」など、故郷青森の風景を描いたすばらしい銅版画をたくさん残している。
(石版・銅版100枚の昭和9年発行「青森県画譜」は今でも古書店で手に入るが、ちょっと手が届かない)

ところで、「今」という姓、なかなかお目にかからないですよね。
「街道を往く」のなかで司馬遼太郎が「金(こん)」という姓にふるくから関心を持っていたと語っているくだりがある。
「やがて金姓は、ほとんど今姓になった。いまも青森県では、今姓はめずらしくない」(オホーツク街道)。
今東光しかり。
ただし、ピンキーとキラーズの今陽子は芸名だそうな。

話がそれました。
記録することの意義、意味を再考させるような企画。
デジタルにはない、アナログの記録の、あたたかさ。
EvernoteやiPadばかり目を向けていないで、鉛筆を持ちましょうよ、と誰かが耳元でささやいたような気がいたしました。


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2011/12/31

TSUTAYAではなく蔦屋

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久しぶりにいい刺激を受けました。
文化が成熟度を増すと、こういうカタチの本屋もできてくるんだなー、と。
代官山の山手通り沿いに生まれた「代官山 蔦屋書店」。
晴天の大晦日にチェック!
(秋元康さんも散歩してました)

六本木ヒルズができたとき、けやき坂のイチバン下に開業したTSUTAYAも新刊書や学習書などは見向きもせずにクリエーティブな本や写真集などを揃えてその営業感覚の大胆さには脱帽という感じでしたが、このときは先行者に「青山ブックセンター」という大先輩がいた。

しかし、新しい代官山のお店はいかな青山ブックセンターが猛追しようと箱根の上り坂を一気にごぼう抜きにしちゃう「山の神」のように抜きんでた存在に登りつめた印象があるが、どうだろう。

粗く挽いた板張りフローリング。
重厚なウッドシェルフ。
明るすぎない落ち着いた照明。
広い敷地に低層の建物3棟が2階の渡り廊下でつながれている。
(ヒルサイドテラスとともに低層の建物の魅力が再認識できる場所としても評価されてしかるべき)

本の品揃えは美術・写真・建築・デザイン・料理・クルマ・映画などに重点が置かれ、文芸書・人文関係はそれなりに。
「Car Graphic」「新建築」「レコード芸術」「平凡パンチ」など雑誌のバックナンバーもよくこれだけ揃えらたなー、と感心するほど集まっていて、2階の存在感あるカフェで手にとって眺められるようになっている。
(1階の売り場でも販売してたりもする)

コンセプトは「大人×TSUTAYA」なんだそうである。
六本木TSUTAYAは若い人たち。
対する代官山蔦屋書店は、オトナが相手らしい。
キャッチフレーズは「本におかえりなさいませ。」だって。

欧米の個性的な書店を取材して美しい写真とともに紹介している「世界の夢の本屋さん」という大型本があるが、
死ぬまでに一度は行ってみたい書店ばかり。
でも、日本にも「代官山 蔦屋書店」という誇るべきブックショップがある。

なんだか気のめいるような話題ばかりの2011年でしたが、悼尾にこんなボーナスが待っていたなんて。
日本もまだまだ行けそうな気にさせてくれます、ハイ。

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2011/11/04

ピンバッジはミュージアムショップの救世主になれるか

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六本木の国立新美術館。
「モダン・アート、アメリカン ―珠玉のフィリップス・コレクション―」と銘打たれた美術展へ休日に行ってまいりました。

地下鉄の駅で見かけたポスターにエドワード・ホッパーやジョージア・オキーフが大きく取りあげられていたので、
見逃すわけにはいかない、と思い。
ただ、期待を胸に行ったものの、ホッパーやオキーフの展示点数はわずかに3~4点どまり。
これにはちょっと肩すかしを食わされた感じでしたが、文句は言えません。
この展覧会の企画が19世紀後半からのアメリカ美術の流れを概観するという趣旨のためで、早合点したわたしがわるうございました(それならそれでワイエスの1~2点でもお目にかかりたいところでしたが)。

ホッパー作「都会に近づく」はよかったですねー。
地下鉄の線路が都会のビルの谷間に吸い込まれてゆく。
トンネルが暗い口を開けている。
寒々しく乾ききったコンクリートの壁。
ここには田園の清らかさも人間的な喜びのひとかけらもなく。
1946年の作品だそうです。
アメリカは戦勝国として喜びを爆発させていた頃だと思いますが。
ブレのない人なんでしょうね。

冒頭の写真はホッパーの有名作品「日曜日」の一部。
店の前で腕組みして思案している中年男が全体の構図から比べて小さく描かれている、と誰かがテレビ番組で言っておりましたが、たしかに微妙に小さいし、店舗の垂直線がかなり後ろに倒れているように感じました。
でも、ここで注目していただきたいのは、左側の男。
じつは会場出口のミュージアムショップで売っていたピンバッジをパンフレットに差し込んで撮影したもの。
中年男のピンバッジ600円。
いいアイデアですね~。
いつもいつもポストカードやらレターセットだけじゃぁ、ね。
美術展ごとに作品に登場する「有名人」をピンバッジにしてくれたら、コレクターもたくさん生まれてくるんじゃないかな~。
さしづめ広重五十三次四日市に登場する編み笠男なんかもピンバッジになってくれるといいかも。
フェルメールのミルクを注ぐおばさんなんかも・・・・と、想像はどんどんふくらんじゃいます。

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