北国にリラの花が咲くころ
5月17日の札幌大通り公園。
昨日の冷たい雨に代わって、温かく気持ちのいい青空がひろがり、公園にもベンチでのんびりする人たち、家族連れで賑わっておりました。
桜が終わったこの季節、花はライラック。
大きくならない木で、手でつかまればポキッと折れてしまいそうな弱々しい幹がですが、白からピンク、紫がまじった花の房をつけてくれます。
フランス語ではリラと言うそうで、パリにはヘミングウェイが通った「ラ・クロズリー・ド・リラ」という名のカフェもありますが、日本では両方通用しているようで。
公園にある石碑には吉井勇のこんな歌が刻まれておりました。
家ごとに リラの花さき札幌の 人は楽しく生きてあるらし
ちょっと観光協会っぽいところが惜しまれるところですが、たしかに東京では春だろうが夏だろうが公園でのんびりビールを飲んだりやとうもろこしを食べたり、は白い目で見られがちですが、この地ではそんなおとがめはいっさいなし。
司馬遼太郎も書いているように北海道人はなぜか大陸的な大きさがあるようで。
いまでは「さっぽろライラックまつり」なんかも54回目を数えたようですが、もともと北海道の地に野生していた木ではないことを以前教えてもらったことがあります。
明治中期、サラ・クララ・スミスというアメリカ・ニューヨーク州からやってきた宣教師・教師が持ってきたものとか。
「少年よ大志を抱け」のクラーク博士はじめ、明治以降の北海道開拓期にはこうした米国を中心とした外国人が自国から持ち込んでくれた技術・農機具・種苗などが、何の知識もない開拓移民(当方の先祖)や屯田兵の生活基盤を作るのに役立ったというわけで。
恩を忘れてはいけませんね。
ついでに外国人のことで思い出しました。
ジョン・バチェラー(John Batchelor)というイギリス人ですが、こちらは明治後期の宣教師。
この人はアイヌ文化に深い尊敬の念を持ち、学校や医療施設、アイヌ語の言葉や民俗学的研究に一生を捧げた人物(もちろん、一方では批判する人もおります)。
第二次世界大戦がはじまり、帰国させられるという不運に見舞われましたが、こういう人たちの生涯を思うにつけわが人生のいい加減さを噛みしめる次第。
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